大好きな九ちゃん
乗っていたんだよなあ
御巣鷹山〟のかなり南方であることを確信した。しかし、具体的に〝どこ〟なのか不明だ。そこは地図の端だった。
現場を見に来た二人連れの森林組合の老人と遭遇した。「私たちはどこにいるのか。教えてください」と迫った。一人が「ここはタカマガハラヤマの東。御巣鷹山はずっと北だ」と言う。「ここは御巣鷹山ではないんですね」と念押しすると、他の一人が「この辺りのあちこちを、御巣鷹山と呼ぶ」と曖昧なことを言う。昔から献上鷹や矢羽根の採取を目的に鷹を捕獲する場所だったという。
3泊を過ごした朝、米国運輸安全委員会(NTSB)やボーイング社の技術者が多数で現地入りした。B747型の事故機を製造し、修理したのは米国側である。原因解明に向けて重要な動きだ。後ろ髪を引かれながら、交代要員の記者と入れ換わりに本社ヘリに搭乗した。本当の御巣鷹山(標高1639㍍)が遥か北の方角に見えた。
本社に上がり「現場は御巣鷹山ではない」と報告した。その時、サブデスクに言われた言葉を忘れない。「お前さんも面倒くさいことを言うじゃないか。一社で取り組む話ではない」。小さな金属破片と共にメモを提出した。①地図で確認する限り、御巣鷹山は現場から北に約2㌔(実際には1・7㌔)離れている。②現場は山頂ではなく、南から北に下る尾根。標高は1550㍍ぐらい。③強いて言えば三国山(標高1834㍍)から続く山系。④直近のピークは〝タカマガハラヤマ〟と呼ばれるが、地図に山名はない。⑤昔から鷹を捕獲する場所だったので、〝御巣鷹山〟と呼ぶ人もいる。
高天原山(標高1979㍍)」を確定し、地図付きで報告できなかったこと
上毛警友・日航機墜落事故対策特集」が出版されたのは11月。拙稿はファクスがにじんで日付に狂いが生じて惨憺たる内容だった。が、約50人が執筆した特集の内容は記録性にあふれる。中曽根康弘首相の「激励」も掲載してA5版130頁。現場の表記は「高天原山系の無名尾根」に統一されていた。
当時の河村一男県警本部長は19年後の2004年8月、『日航機墜落――123便、捜索の真相』を出版した。
の2004年8月、『日航機墜落――123便、捜索の真相』を出版した。「墜落現場は御巣鷹山ではない」と繰り返し訴えた。「(県警発表の)御巣鷹山と三国山の中間点は決して御巣鷹山ではないのである」「誤りも甚だしい。初歩的ミスもいいところである」「伝聞の過程で情報が歪んでいく様子がよくわかる」とマスコミへの怒りの言葉を連ねた。
北緯35度59分54秒、東経138度41分49秒。標高1565㍍。事故現場は黒澤丈夫上野村長の発案で「御巣鷹の尾根」と呼ばれている。しかし、国の運輸安全委員会が2011年に公表した「報告書解説」の表題は「御巣鷹山墜落事故」を踏襲し、況や「高天原山」ではない。
操縦不能に陥り迷走飛行の末、18時56分28秒ごろ群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(標高1,565メートル、通称御巣鷹の尾根)に墜落した[報告書 1]。
乗客乗員524名のうち死亡者数は520名、
生存者は4名
で単独機の航空事故の死亡者数として過去最多である