😲😱

https://www.webchikuma.jp/articles/-/3166 


ドイツの看護師養成施設で研修後、ロンドンの慈善施設で管理者としてすでに活動を始めていたフローレンス・ナイチンゲールも心を動かされた一人で、この新聞記事がきっかけで、自ら従軍看護師として現地に赴くことを決意



戦場の天使」や「自己犠牲の人」というイメージのあるナイチンゲールですが、それらには大きな誤解‥

看護師としてユニフォームを着て働いたのは、九〇年の生涯でなんと三年弱しかなかったのです。

しかし、ほとんど外出がかなわない状況にありながら、この間にナイチンゲールが成し遂げた仕事こそ、クリミア戦争での活躍と併せて、後世に残る偉業

ナイチンゲールが社会的身分の高いレディだったこと、英国のみならずヨーロッパの社交界において、彼女の人となりや知性が、人々の口に上っていたなどの理由から、クリミアへの従軍が決定した段階で、世論は大いに彼女の動向に関心を抱き、うわさが盛り上がっていました。結果として、戦場での取材や視察が行われ、戦地の状況が報告される中で、膨大な記事や情報が新聞や雑誌誌上に掲載されましたが、中にはナイチンゲールが書いた手紙類を紹介した伝記の類もあり、それらも相当数にのぼっています。つまりナイチンゲールはクリミアデビュー当初から〝有名人〞となっていた

兵士たちは口々に、ナイチンゲールから受けた看護の素晴らしさを語ったようですから、聖女のようなナイチンゲール像が出来上がったのだと考えられます。因みに英国ではナイチンゲールは〝ランプを持った貴婦人〞と呼ばれています。

ナイチンゲールは、ヴィクトリア女王からも賞賛と労いの言葉を賜ったほどですから、彼女はまさに〝時の人〞〝国民的英雄〞として祭り上げられていきました。生まれてくる女の子に〝フロレンス〞と名付ける風潮も生まれましたし、多くのナイチンゲールグッズが製作されて販売されました。

 しかしクリミア帰還後のナイチンゲールは、人前に出ることなく、また二度とユニフォームを着て看護の現場に立つこともなかったので、噂は自然にかき消されて、いつしか彼女は生きながらにして伝説化されてしまった

ナイチンゲールは、イギリス・フランス・トルコを中心とする同盟軍とロシアが戦ったクリミア戦争に派遣されると「白衣の天使」として活躍します。 実は看護師として従事した期間はたった2年半の期間になります。



看護とは、あらゆる場であらゆる年代の個人および家族、集団、コミュニティを対象に、対象がどのような健康状態であっても、独自にまたは他と協働して行われるケアの総体である。看護には、健康増進および疾病予防、病気や障害を有する人々あるいは死に臨む人々のケアが含まれる。また、アドボカシーや環境安全の促進、研究、教育、健康政策策定への参画、患者・保健医療システムのマネージメントへの参与も、看護が果たすべき重要な役割である


 






近代看護教育の生みの親」と呼ばれるナイチンゲールは看護師としての活躍ではなく、自身の経験を元に統計データをなじみの薄い国会議員や役人にわかりやすく説明したことが画期的でした。「極地グラフ」あるいは「ナイチンゲールのパラグラフ」と呼ばれる円グラフを、統一的な病院統計のためのモデル形式として用いました。
看護の日は看護師の礎を築いてくれた、
ナイチンゲールの生誕の日

看護師の始まり
この「看護覚え書」は、看護婦の看護の手引きとして書いたものでなく、人の健康について責任を負う女性に考え方のヒントを与えたいという目的で書いたものであって、すべての女性はナースであるとも言っています。