一昨日、一年ぶりに妻と会いました。
まだ、戸籍上は夫婦です。
簡潔に言うと
私はまだ妻のことが好きでした。まだ愛しているでしょう。
そして、妻はなにも変わっていませんでした。
もしかしたら、人格障害にさらに磨きがかかったような感じかもしれません。
私が、なぜこれまで妻に気持ちが残るのかというと
おそらく私の人生環境がそうしたのだと思います。
私の両親は私が13歳の時に離婚しています。
子供のころその経験が、大人になって結婚したら絶対に離婚しないんだ。という意識を強くしたのかもしれません。
そして、今考えても幸せでなかった幼少期から大人になり、社会経験人生経験を積み、社会の酸いも甘いもわかり分別の付く大人になって
つらいことも沢山あるけど幸せなこともあり、それを共有できるのが家族であるという意識が強くなりました。
運命共同体それが家族・夫婦であると、時代錯誤かもしれませんが、昔堅気の私の思いです。
最近は、離婚は多いしそんなに変ではないとか、新しい人生を歩んだ方が二人のためによいなどとも聞きますが、本当にそうでしょうか?
確かにその考え方もあるのは理解できます。しかしその言葉を発するまでには、私にはかなり高いハードルがあると考えています。
田舎生まれ田舎で18歳まで育った私には、一様な前述のような声がどうしても偽善的に聞こえる部分もあるのです。
その理由は、
1.ますます人間関係尾が希薄な世の中にってしまう懸念があり、その結果としてメリットがほとんどないと思われること。
2.原因を事情を詳しくしらない第三者が、安易に離婚が普通であるかのようなことを口にすること自体が疑問です。
3.夫婦というのは、おそらく社会に存在するどんな契約より強く夫婦間の義務や権利が認められているのと同時に保護されていて、夫婦である以上、権利義務に対する通常の契約のように時効もなければ、損害賠償や刑法にも触れないこともあれば、夫婦間の契約は破棄できたりします。しかし夫婦であることの契約は破棄できません。窃盗しても罪に問われないんですよね。
つまりそれほど重要な選択および契約が結婚であると考えているため。
4.結構みなさん見落としがちですが、婚姻を継続させるさめの努力をみんな行ったのを確認したうえで、助言しているのかと思うこと。
つまり夫婦間には同居扶養協力義務があり、それは行わなければいけないと法律でも定められているのですが、離婚理由にある婚姻生活を継続しがたい事由のみに着眼して助言しているような気がします。
すなわち、物事の考え方や流れからいうと、努力してみてもダメだったそのため婚姻生活を婚姻しがたい事由が発生したというのであるならば致し方ないと思うのですが、義務を全うせず権利のみを主張しているとしか思えないのです。
このような2-4は、夫婦じゃないとわからないと思います。
だから古人は
「夫婦喧嘩は犬も食わない」という格言を残したのだと思います。
そして古人の格言には独裁者や狂信者以外間違ったものはほとんどないですよね。
あとね、
このブログを読んだ人はおそらく同じ局面に直面している人か
そうでないなら、インターネットリテラシーの高い人
もしくは都市部に住んでいる人が多いと思います。
田舎に行くと、昭和の時代と変わらないくらい結婚離婚に対する意識が非常に重く強く残っています。
調べていませんが、人口5万人以下の市町村では、おそらく離婚率は都市部のそれより低いはずです。
それは、人目があるのと同時に婚姻含め自分の行動規範が都市部より高いと思われるからです。
つまり何を言いたいのかというと、仮に相談を受けたとしても安易に他人の夫婦問題に離婚という言葉を発してほしくないのです。
離婚して再婚して幸せになった人もいるでしょう。
しかし、離婚した相手の話はなかなか出てきませんよね。
私のポリシーとして、自分が幸せになるために他人が不幸になるということはいやなのです。
みんな幸せになれるといいのにね・・・