男と女 | 秋 浩輝のONE MAN BAND

秋 浩輝のONE MAN BAND

はじめに言葉はない

君に魅了された

こんな美しい女は見たことがない

こんな妖しい女は見たことがない

君は最高の女だ! 

君は極上の女だ!

 

昔ならそれはシンプルな褒め言葉だったかもしれないが、現代では外見の美醜だけで女性を判断するルッキズムは、一部の人の観点ではセクハラに当たるのだという。それを大々的に行っているのがミスコンだ。ミスコンでは、とってつけたような立ち居振る舞いも加算されるが、色々な意味で非難を浴びているようだ。でも、女性が外見を磨き、一番になりたい、有名になりたいという前向きな欲望があるからこそミスコンは成り立っているわけで、審査する側、される側の「共犯関係」という他はない。


ミスコンがダメなら、イケメンを審査する「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」なども非難されてしかるべきだろう。最近では性別カテゴリーを廃しLGBTQなども含めたジェンダーを統一的に扱うという上智大学の「ソフィアンズ・コンテスト」がスタートしている。そういった多様性が求められているのが現代であり、そういう考え方、方向性があってもおかしくはないと思う。

 

僕はジェンダーやフェミニズムを声高に叫ぶ女性が苦手だ。たしかに日本は「男社会」だった。今でもそうかもしれない。女性で仕事ができ会社で出世しても、男性との給料格差は歴然としている。それはたしかに是正されないといけない大事な問題だ。仕事に性は関係ない。能力によってのみ評価されるべきだ。


それにしても、国会議員の数は男女半々にするべきだと騒いでいる人たちがいるが、なんか違うような気がする。フランスはそういった方向性に舵を切り、実戦されているようだが、それは本来あるべき能力主義ではないと思う。男女を区別することなく、能力のある人間が上に立つのが真の平等であって、男女の比率を半々にすることではないのではないか。

 

「夫は社会に出て働き、妻は家庭を守る」などと言えば、女性の社会進出を拒む男社会、封建主義の考え方だと声高に叫ぶ人もいる。夫婦の在り方は多種多様だ。それで納得している夫婦があれば、他人がどうのこうの言う権利はない。逆に夫が主夫をして、妻が外で働くのも自由だ。どうしてそんなことでギスギスしなければならないのか。


「女らしさ」という言葉を使うと、一部のフェミニストの女性たちは眉を吊り上げる。「女らしさ」は、男女の特質の違いから生じる個性のことであって、差別やセクハラなどではない。いつから日本はそんなまっとうなことすら言えない寛容性のない国になってしまったのだろうか。

 

以前、少しだけ親しくなった女性とメールのやり取りをした時に、「女は…」と僕が発言すると、「女ではなく女性と言ってください」と言われてしまった。はぁ…なんじゃらほいと思いながら、こう返した。「『女』は蔑称なのですか? 僕は女性から『男は…』と言われてもなんとも思わないけどね。それとも女性が『男は…』と言うのはOKで、男性が『女は…』と言うのはNGなのですか?『酒と泪と男と女』という歌があるけど、『酒と泪と男性と女性』にタイトル変更しないといけなくなるね」

案の定、その女性との関係はそこで終わった。言葉尻を捉えて突っかかってくる感情的な女性がどうにも苦手な僕は、縁が切れて正直ほっとした。

 

 

酒と泪と男と女 / 木村充揮&近藤房之助

暑(熱)苦しい男たちのバラード

 

 

君は最高だ!

誰やねん?