フレディ・マーキュリー…東洋系の顔なので、元々の国籍はどこだろうと思って調べてみると(昔の話ね)、出身地はインド、生まれたのはザンジバル保護国(イギリスの保護国)だった。両親は二人とも生粋のインド人で、フレディは9歳までインドで暮らし、その後、イギリスに渡ったらしい。いかにも有色人種らしい顔つき、目は大きく、鼻筋はピシッと通っていて、一見二枚目だけど…出っ歯だ。う~ん、一度見たら忘れられない個性的な顔ではある。他のメンバーはイギリスの中産階級の白人であり、ひとりだけ異なっていたフレディはコンプレックスの塊のようにみえる。ブライアン・メイは天文学者、ロジャー・テイラーは歯科医、ジョン・ディーコンは電子工学の技術者…それぞれがインテリなのに対して、フレディはアートカレッジでグラフィックデザインを専攻した芸術家肌の人間だった。音楽家に学歴は関係ないが、フレディは学歴の上でも他のメンバーに対してコンプレックスを持っていた。だが、そのことがフレディのエネルギー源になっていたのだろう。それはルサンチマンが美的に昇華されたものだ。フレディのナルシスティックな美意識は、当時、僕を嫌悪させ、僕を夢中にさせた。何十年も経つと、ほんとうが見えてくる。それはフレディの根っこにあるものは、言い知れぬほどの深い孤独感であるということだ。
Bohemian Rhapsody
もう遅過ぎる
終わりの時はきた
脊椎は震え
ずっと体が痛い
さよならしなければならない
さぁ、もう行かなくちゃ
君と離れ、真実と向き合うんだ
○▽□☆…ガリレオ、ガリレオ
そんな大袈裟なものじゃない
みんな解っていることなんだ
どこにいたって風は吹くものさ…
(和訳抜粋)
まるで自身の死を予感させるような詞だ。イタリア喜劇オペラっぽいコーラスを途中で挟むという、大胆な構成を持った曲だが、本質はとても哀しいフレディの想いがこもっている。映画では、この6分間の曲をシングル・カットするかどうかでスタッフと揉めていたが、フレディは最後まで我を押し通し、結果、クイーン最大のヒット曲となった。オーディエンスがクイーンに何を求めていたのか、フレディはライブを通して、肌身で感じ、理解していたのだろう。
ちなみにプロモでは、中間部分を4人がコーラスをしているような動画が出てくるが、実際のところは、ジョン・ディーコン(ベース)は、一切歌っていない(ジョンはライブでも一度も歌ったことがないそうだ)。また、他のメンバーもあまり歌っておらず、ほとんどがフレディ一人の多重録音によるものだ。個人的には、昔からカラオケへ行くと、『ハイウェイ・スター(ディープ・パープル)』『ロックンロール・ナイト(佐野元春)』とともに必ず歌っていた曲。これらの曲にはカタルシス効果があり、健康にいいのだ(笑) それを聞かされる他人がどう感じるかは知ったこっちゃない(爆)
Bohemian Rhapsody (1981 Live)
We Are the Champions
代償を払ってきた
何度も何度も
罪は犯してないのに
罰も受けた
大きな過ちも何度か犯した
顔に砂を投げつけられたこともある
それでも俺は乗り越えてきた
前に進まなきゃならないんだ
俺たちは勝者だ
敗者などになっている暇はない
最後まで戦い続けるんだ
(和訳抜粋)
バイ(両性愛者)であるフレディの現実的な実感だろうか。自らを鼓舞しながら生き急いでいるフレディの姿が痛々しい。王冠を被り、マントを羽織っても、悲壮感、孤独感をイヤというほど感じてしまう。スカートを穿き、ダイヤ模様の全身タイツを着てピエロを演じても、フレディにはいつも孤独と壮絶な死の影がまとわりついている。
We Are the Champions
The Show Must Go On
心臓が鼓動を刻むのを止め
あられもない姿をさらしても
僕は心からの笑顔をみんなに送ろう
僕の魂は蝶の翅のように美しく彩られる
去りし日々は伝説なり、色褪せることはない
友よ、僕は空を舞うことができるんだ
続けなければならない
ナニモノにも屈しない
続けなければならない
僕は僕を演じ続けるんだ・・・
(和訳抜粋)
映画のエンドロールで流れていた最後の曲。予想通りの選曲だった。死の間際、ほとんど声も出なくなって、もうレコーディングは無理だろうと思われていたが、フレディは最後の力をふり絞って歌ったのだった。あの全盛期の美しく艶やかな声が、その一瞬、不死鳥のように蘇った。1991年、亡くなる1か月前のレコーディング…それは奇跡だったのかもしれない。
The Show Must Go On
色々な表情を持つフレディ
本田美奈子との珍しいツーショット
ふたりとも、もうこの世界にはいないんだな…

