British Folk16 Paul Simon/Simon Before Garfunkel | 秋 浩輝のONE MAN BAND

秋 浩輝のONE MAN BAND

はじめに言葉はない

ポール・サイモン……当ブログで何度も登場しているSimon & Garfunkel(以下S&G)のSimonのほうだ。一部を除いて、S&Gで発表した曲の作詞、作曲は、すべてポール・サイモン(以下ポール)の手によるものであり、初期のライブの伴奏は、すべてポールのアコギ1本で行なっている。作詞、作曲の印税は膨大で、ポールの収入はアート・ガーファンクル(以下アート)の10倍はあったと言われている。だが、S&Gのレコード、CDが莫大に売れたのは曲の良さだけでなく、アートの美しいハーモニー・ボイスがあったからこそである。もしポールが初めからソロ・アーティストだったとすれば、S&Gの売り上げの1/4にも満たなかったかもしれない。「タラレバ」言っても仕方がないのだが、運命(或いは奇跡)の出会いというものはあるのだろう。彼らのボーカルは、ソロで聴くと幾分物足りないが、ふたりでハモった時の音声は、他のどんなスーパー・ボーカリストとコラボした時よりも、人の耳に心地良く響いたのである。それはテクニック以前に、声質のマッチングが良かったからだ。彼らは幼馴染だったから、一緒に歌った時間は長いだろうし、努力して二人の声の相性の良さを、さらに磨き上げていったことは間違いない。言葉の発音は、同じ日本語を話す日本人同士でも微妙に違うが、同じ英語を話すアメリカ人同士でも同様だ。口蓋や唇のカタチ、歯並び、舌の長さ、それぞれの育った環境、性格の違いなども発音に影響してくるだろう。まだ二人が同じハイスクールに通っていた時代の話だが、アートはこう語っている。

「ハーモニーの練習をする時、開けた口の奥まで互いに覗き込んで、互いの発音の仕方を知り、互いの差を最小限に留めようとしたんだ。そして違和がなくなると、今度はその努力の跡を消そうとした」

ポピュラー音楽はナチュラルな装いがあってこそ、ポピュラリティと普遍性を獲得することができるということに、彼らは10代の頃から気づいていたのである。

 

SIMON BEFORE GARFUNKEL

The Paul Simon Song Bookのオリジナル・ジャケット

 

The Sound of Silence

S&Gの出世曲The Sound of Silenceのオリジナル・バージョンは1964年にリリースされたS&Gのデビュー・アルバムWednesday Morning 3Amに入っている。二人の声とポールのギターだけで構成されたソフトなアレンジ。他の曲も似たようなアレンジだった。だが、フォーク・ソング・ブームが去りつつあったその時代にデビュー・アルバムはまったくといっていいほど売れなかった。世界中でヒットしたバージョンは、オリジナルの二人の声とポールのギターに、エレキ・ギター、ベース、ドラムを後で重ね録りしたものである。それは当時のプロデューサー、Tom Wilson(トム・ウィルソン)がポールの了解を取ることなく決行したことだった。フォークロック・サウンドという衣を装ったThe Sound of Silenceは、トムの睨んだ通り、ヒット・チャートをぐんぐん昇り始めた。その頃、ポールはイギリスでライブハウス回りをしていたが、急遽アメリカに呼び戻された。The Sound of Silenceを含んだ2枚目のアルバムを録音するようトムに言われたからである。シングル盤The Sound of Silenceは、シングル・チャートで1位を獲得、僅か二週間で急造されたアルバムSounds of Silenceもミリオンセラーとなり、S&Gは一気にスター・ミュージシャンへの階段を駆け上っていった。トムがポールに無断でThe Sound of Silenceをフォークロック・サウンドにアレンジしたことにポールが激怒したという話があるが、たぶんそれはウソだと思う。売れたくて売れたくてたまらないポールが、ヒット・チャートにランク・インしている事実を前に激怒することなど絶対に考えられない。もしも本当の話だとすれば、一部の弾き語り曲を除き、ほとんどの曲をフォークロック調にアレンジしたアルバムSounds of Silenceは存在しなかったはずである。

 

The Sound of Silence / Paul Simon

前回紹介したThe Side of a Hillと同じThe Paul Simon Song Bookに収録されたバージョン。オリジナルのS&Gのレコーディングの1年後にロンドンで録音されたものである。S&Gのソフトな唱法とは真逆で、感情剥き出しの激しい歌い方。この歌い方こそがポールの、この歌に対する本音の表現といってもいいだろう。4番のアタマでポールは叫ぶ。

 

Fools!said I You don't know,

Silence like a cancer grows

「馬鹿野郎!」と私は言った。

「お前は知らないのか、沈黙は癌が蔓延るようなものだ」

 

ポールはギターを激しく掻き毟るように弾き、足踏みしながら歌っている。ポールは自らを対象化し、自己批評、自虐化する作業を好むアーティストだが、この頃のポールは、本音を直情的に表現したかった時期なのかもしれない。たぶん、商業的なことはまったく考えず、青春の記念碑、存在証明として自腹を切って制作したものだろう。どんなに歌っても売れない状況に苛立ち、ヤケクソで歌ったものではないかと思ったりもする。売れたあと、自ら回収、封印してしまった理由は、そんな自分自身の青臭さを晒してしまったことが恥ずかしくていたたまれなくなったからではないだろうか。ポールはバート・ヤンシュによく言っていたらしい。「俺は売れてやる。絶対に売れてやるんだ!」バートはそんなポールの桁外れな上昇志向にうんざりしていた。まぁ、でも、それくらいでなければ、きっと浮き上がれない世界なのだろう。

 

 

Patterns

Patterns / Paul Simon

S&Gでは、3rd Album、Parsley Sage Rosemary and Thymeに収められている。このソロ・バージョンはThe Paul Simon Song Bookに入っている。ポールの曲の中では、やや特異で、暗さ全開の詞と曲。辛い時期に作ったものかもしれない。足場を失い、悪循環の中で…ネズミのように迷路に入り込み、やがて死んでいく…自分自身を自虐的に捉えた表現だが、悪いことが連鎖的に起こると、人はそういう気持ちになることがある。ポールは詞の中に人間の感情の普遍性を必ず盛り込もうとする。ポールの詞が高評価を得ているのは、そういった冷徹な観察眼を持っているからだろう。

 

 

I Am a Rock

I Am a Rock / Paul Simon

S&Gでは急造されたアルバムSounds of Silenceに入っている曲。このポールのソロ・バージョンも、やはり感情剥き出しの歌い方で、心情は解るが、聴いていて気恥ずかしくなる。愛も友情も信じられず、自分で壁を作って、本や詩に閉じ籠る……つまり引き篭りなわけだが、はたして何事においても前向きでイケイケのポールに、そんな時期があったのだろうか? ハイスクール時代はTom & Jerry(ポールはジェリー・ランディス、アートはトム・グラフと名乗っていた。その後、ポールはポール・ケインと名を変えた…映画「市民ケーン」からのもじりだそうだ)でレコードを出し、Hey School Girlというロックンロールで10万枚のヒットを生み出したし、クイーンズ・カレッジ時代は、一人で多重録音(ドラム、ベース、ギターすべてポール一人でこなしていた)しまくり、レコード会社への売り込みに余念がなかったようだし(同じ大学の同級生にキャロル・キングがいて仲が良かったそうだ。一緒にレコーディングしたという話も聞くが…?)、S&Gでデビューして売れないと、即、一人でイギリスに渡り、ライブハウス回りをしていた。そうしてみると、ポールは音楽一筋、アクティブそのものだ。一方、アートはファースト・アルバムが売れなかったので、音楽を諦めてコロンビア大学に戻り、建築学と数学で学位を取ったという「真面目」な性格で、ポールとは好対照だった。

 

 

He Was My Brother

He Was My Brother / Paul Simon

S&G名義ではファーストアルバムに入っているので、こちらのソロより1年前にレコーディングされている。この曲に関しては、アートのハモリが入ったものより、ポールのソロのほうがいい。悲しみがストレートに伝わってくるのだ。この曲にはいわくがある。ポールの大学時代の親友で、黒人解放運動をしていたアンドリュー・グッドマンがKKK(クー・クラックス・クラン=白人至上主義者団体)によって暗殺され、その悲しみをポールが歌ったというものだ。だが、実はアンドリュー・グッドマン暗殺のニュースよりも、この曲のほうが先に出来ていたのである。1年前のS&Gのレコーディングでは「This Town」となっていた歌詞が、このソロでは「ミシシッピ」に書き換えられている。アンドリューはミシシッピで死体として発見されたからだ。ポールはずるいといえばずるいのかもしれないが、たまたまシチュエーションが合致したなら、友人のことに置き換えて歌ってもいいのではないかと思う。歌とはたぶんそういうものだろう。聴き手もみんな個人のシチュエーションに置き換えて聴いているわけで。

 

ポールはアメリカ人なので、厳密にはBritish Folkとはいえないのかもしれないが、ポールのイギリス武者修行時代抜きにはポールの歌は語ることができない。主要な曲は大半がイギリスに居た時代に生まれたからだ。そういう意味ではBritish Folkといっても差し支えないと思い、このシリーズに入れることにした。ご理解いただければ幸いです。