ボブ、ノーベル賞受賞おめでとう! | 秋 浩輝のONE MAN BAND

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はじめに言葉はない

えっ?  イグ・ノーベル賞かと思ったら、本物のノーベル賞?!  そうなのか、驚きのあまり、腰を抜かしそうになった。てっきりドクター中松氏の仲間入りをしたのかと。いや、それは冗談ですが。

 

巷では、いろんな立場の人がいろんな意見を述べている。モチロン正しい正しくないなどの答えはない。立場によって意見が違うのは当たり前のことだ。たぶん、答えは風の中にあるのだろうけど、とうのボブはどうする気なんだろう?  サルトルみたく、受賞拒否するのだろうか?  モーニング着て授賞式に出席するのだろうか?(似合わねぇ~)

 

メインの議論はボブの歌は文学と言えるのか否か?  少なくとも音楽であるのは間違いないけど、歌の一部の要素である歌詞だけを引っ張り出して、文学と定義することが出来るのかどうか?  ということだろう。

 

案の定、かなりの文学者たちは否定的で、ツィッターなどでは辛辣な意見が飛び交っている。職場荒らしをされたという意識なのだろうか?  「これで我々もグラミー賞受賞の権利が出来たというものだ」と皮肉る文学者もいた。もちろん、カテゴリーに捉われず、ボブを賞賛している文学者もたくさんいる。

 

要は「歌詞」が「詩」と認められればいいのだな?  文学賞の受賞者を調べてみると、小説家に混じって詩人の受賞者も数人いるからである。私が知っているのは、90年代に受賞した詩人デレック・ウォルコットだが、なぜ知っているのかといえば、ポールサイモンが作ったミュージカル「ザ・ケープマン」の作詞から脚本まで、ウォルコットが手掛けているからだ。残念ながら一般受けのしない失敗作だった。内容はといえば、バ―スタインの「ウエストサイドストーリー」にほとんどそっくりだ。確かにあまり一般受けしない内容だと思うが、詞の質はさすがに高い。詞だけ読むと、詩と歌詞の境い目は非常に曖昧だと感じる。だから、音楽の要素が加わったとて、そこで躍起になってここぞとばかりにボブの受賞を批判するのは如何なものかと私は思ってしまう。

 

私はボブは新しい詞のカタチを然るべき時代にポピュラーソングの世界に提供した人だと思っている。然るべき時代の背景には60年代のベトナム戦争がある。ボブの影響で、ポップソングの歌詞に対する人々の認識は変わっていき、作詞家として評価の高いジョンレノンやポールサイモンにも多大なる影響を与えた。そしてその後の音楽の歴史は彼らによって、かなりの部分が作られていった。それは紛れもない事実である。

 

そこで問われるのは、やはり「質」だろう。ボブディランの詞の質が他の作詞家と比べて高いのか低いのか、意見はいろいろある。私はディランフリークではなく、詞のすべてを知っているわけではないので、論評することは差し控えたい。だが、ひとつ言えるのは、それまでのポップソングの甘ったるいだけの歌詞から脱却し、洞察力に溢れた思慮深い歌詞を提起した初めての「作詞家」は、ボブディランだということだ。何でも一番はじめに実行した人は賞賛されるのである。