灰汁(AKU)12 父ふたたび | 秋 浩輝のONE MAN BAND

秋 浩輝のONE MAN BAND

はじめに言葉はない

第12章 父ふたたび


 父だ! 
 悪い予感がした。
 私は父を睨みつけながら怒鳴った。
「いい加減にしてよ! なんで、私たちの後をついてくるのよ!」
「薫、昨日、おまえは父親の俺を刺そうとした。どう考えても許せねぇんだよ。なぜだか、このにいちゃんが俺の身代わりになってくれたけどな」
 父は手にナイフを持って、じりじりと私たちに近づく。
 酔っているのだろう、目はとろんとして、足元はふらついている。
「土下座して謝れよ」
「誰が、あんたなんかに……。謝るのはあんたのほうじゃない!」
「てめぇ……」

 とろんとした目が、くわっと見開いた。
 私は背筋が凍りつくような恐怖を感じた。
 周りには誰もいない。
 父はヨロヨロしながらも、ナイフを持ったまま、私に向かって突進する。
 私は体全体が恐怖で硬直して動けない。
 悟はすかさず私の前にたちはだかった。
 父から私を守ろうと。

『だめよ、悟! 今度は私があなたを守る!』

 そう思った瞬間、硬直した体が咄嗟に動き、悟の前に出ることができた。
 そして、父のナイフを胸に受けた。
 ナイフは左乳房に突き刺さった。
 肺にまで達したような気がする。
 息苦しい……。鮮血が滴り落ちる。
 私はナイフが突き刺さったまま、仰向けに倒れた。
 不思議と痛みは感じない。

 父は「ひぃっ!」と言いながら逃げていった。
 悟は私を抱きかかえ、私の名前を必死に呼び続ける。
「薫! しっかりしろ! 薫! なんでこんなことに……」
 こんな状況の中なのに、私はなぜかすごく冷静だ。
 色々なことが頭の中を駆け巡る。
『私はここで死ぬんだろうか……。もし私が死んだら、悟はいったいどうなるんだろう。今ここにいる悟は? 将来、生まれるはずの私の子供としての悟は?』

 悟はずっと私の名前を叫び続けている。
 いや、名前だけではない。
 私が悟からいちばん聴きたかった言葉も……。
「薫、薫、愛している! 愛している! お願いだ、死なないでくれっ! 薫!」
「悟……こんな私を愛してくれているの? 母親への愛情ではなくて?」
「ひとりの女としてだ。未練を残すのが辛いから母親の薫に抱き締められたいと言ったけど、もちろん、それは嘘ではないけど……。ああ、何を言っているのか自分でも解らない!」
「嬉しい……生まれてきてよかった。でも、母親と息子が恋人には成れないもんね……」
 私は薄れゆく意識と必死で闘いながら、悟と会話を続ける。

「ねぇ、悟、さっき何を言いかけたの? 『俺と一緒に……』と言ったよね?」
「俺は薫の記憶を消さないことにしたんだ。この時代ではなく、俺のいた未来でもなく、誰も知らない時代に薫と一緒に旅立とうと決めたんだ。そして、ふたりでずっと一緒に生きていこうと……。昨夜、父さんに話した。もちろん、大喧嘩になったよ。当たり前だよね。母親と息子が……そんなこと許されるはずがない」
「行こ……悟、連れていって。悟と一緒ならどこでもいいから……」
「あぁ、行こう、誰にも邪魔されないところへ……」
 私の意識は徐々に遠のいていく。
 私は最後の力を振り絞って言った。

「ねぇ、悟、キスして……お願い……」

 悟は私の髪を優しく撫でながら、唇を重ねる。
 そして、頬に伝う涙を、悟は唇でゆっくりと吸い取ってくれた。
 その唇の柔らかさと暖かさを感じながら、私の世界は少しずつ消滅していった……。

(続く)