手紙のやり取りをしているうちに、いつの間にかS乃に惹かれはじめている自分に気がついた。なんなんだろう? 同情や憐みといったものではない。S乃の純粋な魂に惹かれたのかもしれない。たぶん、いろんな人間関係の中で、駆け引きや嘘やエキサイティングなつき合いに疲れてしまったのだろう。S乃とのやり取りには、そういったものは一切なかったので安心できたのである。S乃が来ることを拒む理由は何もなかった。
S乃は一人でやってきた。子供は実の親に預けてきたそうだ。色々な話をした。色々な苦労の多い結婚生活だということが解った。DV問題は、どちらか一方に原因があることも多いが、その状態に至るまで止められなかったプロセスを他人が冷静に見ると、被害者側にも何らかの問題があることが多い。S乃の場合、何かを言われても言い返せない、自分が悪くなくても謝ってしまうところがあるようだ。それは決して美徳ではない。相手をどんどんつけあがらせてしまうからだ。うちの家がそうだった。父は家族に、特に母に対してひどい暴力を振るっていた。母は何を言われても一切言い返さなかった。それが繰り返されることで父の暴力は増長していったのである。
「しばらくこちらにいてもいいよ」
思わず僕はS乃に言ってしまった。僕はS乃のためにアパートを借り、そこに住まわせた。それが長く続くのか、何か将来的に良い意味を持つことになるのか、僕は正直、何も考えていなかった。取り敢えず、現状から逃れることがS乃には必要なのではと思っただけだった。彼女は僕の言葉に従って、こちらに暫くいた。僕は仕事が終わると、アパートに行き、S乃の作ってくれた晩御飯を食べ、泊まっていった。
たまには、外に連れ出さなとなーと思って、ある夜、行きつけのスナックに連れて行った。だが、彼女はそこで一言も口をきかない。何を話し掛けても話そうとしないのだ。店の女性には気を遣わさせてしまった。長居はできない。「ごめんね」とママさんに言って、会計をしている途中、彼女は、さーっと店を出てどこかに行ってしまった。あわてて探すと、近くの公園のブランコに座っていた。「どうしたんだ? 心配したじゃないか」と言うと、彼女は僕の胸に縋りついて、わーと泣き出してしまった。僕は彼女をアパートまで連れて帰ったが、とうとう彼女は、その晩、何も喋らなかった。翌朝、彼女は「ごめんなさい」と言ったが、それ以上そのことについては喋ろうとしないので、僕は何も言わないことにした。何が彼女の心を閉ざさせたのか、今でも解らないでいる。
それから数日してS乃は「家に帰る」と言い始めた。やはり子供のことが気になるようだ。スナックの一件以来、ぎくしゃくしていた僕たちの関係は、これ以上続けられそうになかったので、同意した。僕はアパートを解約し、彼女を見送った。S乃との同居生活は僅か1か月で終わった。
それから1か月後、僕は休暇で故郷に帰っていた。K岡と一緒にN子たちとドライブに行く(詩小説8 Y紀とN子4に書いている)前日、ジーンズショップに行った。すると、外の道路から僕の名を呼ぶ声が聞こえた。なんと、S乃だった。少しだけ話をした。ご主人はS乃が家に帰ると、男の存在を疑っていたようだが、たいして怒らなかった。というのは、その前にS乃の親がご主人と話すと、彼はDVを認め、反省したからだそうだ。今はなんとか、うまくいっていると言う。「いろいろありがとう」と、S乃は頭を下げた。僕は少しだけ安心し、S乃に別れを告げた。
(了)
実話率69.6%