マンガの描き方・手塚治虫 | 道玄坂で働くベンチャー課長だったひと

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Il n'est qu'un luxe veritable, et c'est celui des relations humaines.
Saint-Exupery(真の贅沢というものは、ただ一つしかない。それは人間関係の贅沢だ。
サン=テグジュペリ)
 

マンガの神様、手塚治虫。
 
彼がずばり、「マンガの描き方」という本を記しており、

漫画家志望はもとより、自分みたいな一般読者でも、
十分楽しめるような内容になっています。 
 
マンガの要素として、「省略」「誇張」「変形」があり、
実は子どもの絵、落書きには、これらの要素が
すべて含まれています。
 
長編マンガの構成として、
よい例は、針葉樹みたく太い幹がまっすぐ走り、
そこから枝が派生している状態で、
悪い例は、広葉樹みたく、枝葉が広がりすぎて、
収拾がつかなくなってしまっている状態。
 
つまり、脱線しても必ず本筋に戻る必要があると。
 
手塚マンガの優れている点は、表現力はもちろんですが、
それ以上に、ストーリー構成、テーマ性がしっかりしています。
 
長編マンガを描くためには、4コマ漫画を描くことが大切で、
手塚のデビュー作も「マァチャンの日記帳」という4コマでしたが、

現在、ストーリー漫画家として活躍しているひとも、

4コマものの経験者で、「起・承・転・結」の訓練になります。 
 
手塚マンガに関しては、ほとんど読破したと思いますが、
終わり方が中途半端だったという記憶はなく、
むしろ、長編マンガであれば、名文学を読み終えたような
手応えと感動に満たされます。
 
しかしながら、ジャンプ世代の自分として、
他の多くのマンガを読みましたが、
終わり方が圧巻というのは、むしろまれで、
中途半端なケースが多いと思います。
 
確かに事情を考慮すると、週刊誌で連載していても、
いつ打ち切りになるかわからず、また、
最近は読者の声によって、ストーリー展開を
変更するというの事情もあり、
そう考えると結末ありきで、終始一貫した作品を
描くのは難しい環境になるのかもしれません。
 
手塚治虫のいう長編マンガ成否の3つのカギ
 
1 あまり他の漫画作品を見ないこと
2 深く考えすぎず、ただマイペースで描くこと
3 描いている途中で人の意見を入れないこと
 
これらの3つはしごく正論ですが、
週刊誌で連載している漫画家はいずれも

実践できていない気がします。
 
また、のち、トキワ荘に住む漫画家たちは、
手塚治虫の「ロストワールド」を読んで、衝撃を受け、
上京し、弟子入りしたケースが多いですが、
それだけ、神様と呼ばれるほど、手法においても変革しています。

 
それまでのマンガは、視点が劇場で客席から
舞台を見るような平面的な構図だったのに対し、
手塚は、映画的手法を取り入れ、クローズ・アップやアングルの工夫、

また、アクションシーンやクライマックスにおいては、
従来1コマで済ませていたものを、
何コマも何ページも克明に動きや顔をとらえて描いていったのです。
 
また、手塚治虫は大の映画好きで、年間300本近く観ており、
実際は多忙なので、自分の観たいシーンだけ映画館で
観ていたようですが、弟子たちも習って、
たくさん映画を観るようになったといいます。
 
手塚治虫のキャラクターは多種多様で、
どれも顔に個性があって重複することがなく、
また反面、ひげおやじなど、特定のキャラクターを
使い回すことによって、親近感を演出しています。
 
手塚治虫が絵がうまいのは当然ですが、
彼が小学生の頃に描いた図工での宿題も、
驚くほどよく描けており、一朝一夕でないことがうかがえます。 
 
自分は手塚作品は当然好きですが、
それ以上に、大赤字事業であった国産初の
連続アニメ(鉄腕アトム)にこだわるなど、
彼自身の生き方、人生が非常に興味深いものがあります。
 
彼自身、学生時代に空襲を体験し、終戦を迎え、
焼けた野原の中、呆然としつつも生きる喜びに震え、
マンガ家と医学生の二足草鞋で歩むことになります。
 
彼がマンガを描く上で、絶対に守らなければならないのは、
「基本的人権」で具体的に3つあげています。
 
1 戦争や災害の犠牲者をからかうようなこと
2 特定の職業を見下すようなこと
3 民族や国民、そして大衆をばかにするようなこと
 
これらは、まさに彼の人生経験を教訓的に物語っています。
 

「オサムシが 世界のMANGA 築きたる」 シチョウアタリ


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