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~俺もないけど心配するな~

デュープラー英語学院の代表、hisasueの気ままなブログ

年が明けた。


私は毎年、正月になると「何か新しいこと」をしようと心に決める。


私は英語を教えているが、日々同じことを教えていると、「慣れないことをする人の気持ち」をついつい忘れがちになってしまう。


生徒たちは皆、英語の発音や、文法の学習など、日常的にはやらないこと、つまり「やり慣れないこと」をやっている。


一方の私は、英語の発音も文法の学習も、繰り返し行って「やり慣れたこと」になってしまっている。


「慣れないこと」をすると、人はどうしても「ミス」をするし、最初からはうまくいかないし、そういう姿を他人(教師)にさらすのはプライドが傷つくし、ストレスを感じるし、時には逃げ出したくなる。


だから私は、毎年、正月になると自分がやり慣れないことをやろうと思うのだ。


そうすることで、生徒たちの気持ち、やり慣れないことをやる人の気持ちを忘れないようにしたいと思う。


これまで、ペン字、運転二種免許取得、運転代行の仕事、松戸市の地図・道を覚える、ストレッチ(前屈)、など、少しずつだが「やり慣れないこと」に挑戦してきた。


去年は、「部屋をきれいに維持する」ということに挑戦したが、うまくいかず…


それに、ブログも去年9月から始めたが、一時期、あまりの忙しさにパッタリ止まってしまった。(また再開したけどね。)


やはり「やり慣れないこと」を続けるのは難しい。


今年は…


引き続き「部屋をきれいに維持する」ということと、あと「WEBプログラムに関する知識を身につける」の2つに取り組もうと思う。


後者は、特に国際会議事務局の仕事で使えるし、自分の英語教室のウェブサイト構築にも役に立つ。


今年は、貪欲に、あれもこれも欲張ってやって行こう!


そうやって取り組んで、うまくいったり、失敗したりしながら成長していきたい。


というわけで、今年も「~俺もないけど心配するな~」を宜しくお願いします!





今年も今日でおしまいだ。

歳をとるに連れて時間が経つのが早くなる。

私の周りでは、誰もが同じことを言う。

これは、ジョジョ風に言えば、「時が加速しているっ!」のだろうか?

まあそんな訳はないが(笑)、時が加速しているように感じるのは確かだ。

同じ「365日」でも、10歳の頃と今(37歳)では、全然感じ方が違う。

先週書き終えた年賀状も、なんだかつい半年くらい前にも書いたような気がしたし、

実は2年ぶりに会った友人にも、なんだか1年ぶりくらいに会った気がしてしまうのだ。

「1年=365日」というのはずっと変わらないはずだが、歳をとるに連れて、今まで生きてきた時間に対する「1年」はだんだん小さくなっていく。

10歳の頃は、「10年」に対して「1年」だから「1/10」という感覚だが、

37歳の今は「1/37」となり、同じ「1年」が、より小さいものになってしまうのだ。

分母が増え続けるのだから、やはり感覚的な時間は加速していると言えそうだ。

振り返ると、28歳で英語教室を立ち上げてから丸8年が過ぎた。

開校当初は、8年後にはもっと進んでいるだろうと思っていた。

赤羽に第2教室を出したり、自分の下に何人も先生を育てていたり、そんな風にイメージを膨らましていた。

しかし現実は厳しい。

このまま時が加速していくことを考えると、人生、あっという間に終わってしまうのではないか、と最近よく思う。

2010年は国際会議が2つもある。

しかし、あくまでも国際会議は副業だ。

2010年は英語教室の中身を一層充実させよう。

文法書の改訂版を完成させ、オリジナル音声学習テキストを完成させ、文法問題集も発行させたい。

教師育成マニュアルも完成させ、教師を増やしたい。

加速する時に負けぬよう、中途半端でも次々に進んでいく「勇気」を持ちたい。

8年前の自分をがっかりさせないように。



男と女って、色々違うんだなぁ、って思う。

ってなわけで、「男と女の違いシリーズ」行ってみよう。

今日は「我が物顔」について。

今日、家に帰る途中、松戸駅東口近くの100円ショップで買い物をした。

時刻は夜の11時頃。

近くの大学の女子大生だろうか。4人組の女性がそれぞれ買い物をしていた。

私は店内を周りながら朝食用のヨーグルトなどをカゴに入れ、レジに足を運んだ。

レジには、私の前に先ほどの女子大生らが4人並んでいて、1人ずつ会計を済ませていった。

ようやく私の番が来て、お金を払い、買い物が完了。

買い物袋を片手に、私は店の外へ出ようと店の入り口まで進んだ。

すると、ガラスドアのすぐ外に、さっきの女子大生ら4人がまだ立っていた。

ドアは外開きだ。

私はそっとドアを開け、こちらの存在に気づいてもらおうと思った。

しかし、4人が立ちはだかるように入り口前をふさいでいる。

どうやら、買い物袋を地面に置き、なにやら買ったばかりの商品を取り出そうとしているようだ。

誰も私の存在に気づかず、道を開けようともしない。

と、その時、4人のうちの1人と目が合った。

しかし、この子も全く無反応。

「ちょっと、人が通るから道開けよう。」

と言ってくれるかと思いきや、完全に無視。

私は、4人にぶつからないように、横歩きにそっと隙間を抜けた。

何て言うんだろう。

私はこの4人の女子大生らのあまりの「我が物顔」っぷりに、呆れたというか、腹が立ったというか、がっかりしたというか、驚いたというか、とにかく、不快な感情をしばらくぬぐい去ることができなかった。

すべての女性がこうだとは思わない。

しかし、こういうことを平気でやれるのは女だ。

男の場合、集団で道をふさぐということはしないと思う。

狭い歩道に広がって井戸端会議したり、駅の改札口の出口付近で立ち止まったりするのはたいてい女だ。

この人達は、「ここを人が通る」ということを気にしないのだろうか。

それとも、気づいてはいるが「そんなの知ったこっちゃねえ」ということなのか?

まるでヤクザかチンピラみたいだ。

男でそういうことをするのは本当にヤクザかチンピラだろう。

しかし、女の場合は、その辺の一般人なのに、そういうことをする。

もちろん、そういうことに気をつける常識的な女性の方が多いんだろうとは思う。

「我が物顔」で街を歩く一部の女性のために、すべての女がそうだと思われてはかなわんだろう。

かつて「オバタリアン」と呼ばれた人種はきっと今もあちこちにいて、実は年齢に関係なくそういう「素質」を持った人はいつまでも変わらずに「我が物顔」で生きて行くのだろうか。

私にはどうすることもできなさそうだ。

せめて、今日の私みたいに「よけて」いくしかないのだろうな。きっと。