今回の問題、まだ私のところに「解けた!」という報告はない。
やっぱりヒントがいるだろう。
問:四則演算(足し算、引き算、かけ算、割り算)のみを使って、以下の4つの数字を「24」にしなさい。1つの数字は1回のみ使えるものとし、使う順番は自由とする。
3,3,7,7
ヒント1:引き算は使わない。
ヒント2:電卓では解けない。
できた人からの報告待っています!
大好評(?)の「四則演算で24」シリーズ、第2弾を出題しよう。
今回は1問だけだが、ち~とばかし難しいぞ。
問:四 則演算(足し算、引き算、かけ算、割り算)のみを使って、以下の4つの数字を「24」にしなさい。1つの数字は1回のみ使えるものとし、使う順番は自由とする。
3,3,7,7
私はこの問題は自力で解けなかった。
ノーヒントで解けたらすごいぞ!
今回は1問だけだが、ち~とばかし難しいぞ。
問:四 則演算(足し算、引き算、かけ算、割り算)のみを使って、以下の4つの数字を「24」にしなさい。1つの数字は1回のみ使えるものとし、使う順番は自由とする。
3,3,7,7
私はこの問題は自力で解けなかった。
ノーヒントで解けたらすごいぞ!
おととい、ちょっと体調を崩した。
ゾクゾクと寒気がして、熱があるかな~と思って計ってみたら、なんと38度5分もあった。
こういう感じの体調の悪さは久しぶりだ。中二の時以来かもしれない。
そういうわけで、昨日はたまたま休日だったので家でおとなしくしていた。
ひたすら寝ること10時間。
昼頃目を覚まし、買っておいたウィダーinゼリーを2つ食べて、また寝た。
夜に正月用のもちの残りを食べ、また寝た。
昨日は結局、ほとんど食事らしい食事をとらなかった。
今朝起きて、起きる時間が遅かったというのもあって、食事も取らずに仕事にでかけた。
通勤途中で「腹が減ったなぁ・・・」と思ったが、ここで、ふと考えた。
今、私は空腹を感じているが、時間さえとれれば空腹感は満たされるだろう。
それは少なくとも、あと何日後とか何週間後という単位の話ではなく、数時間後、あるいは数十分後という単位の話だ。
ところが、世界には、本当の飢餓に苦しむ人々がいる。
彼らの場合は、それこそ「何日」も、「何週間」も、あるいは「何ヶ月」もの間、空腹が満たされないままだ。
次に、いつ空腹が満たされるのか、約束などない世界が、私達の知らないところに存在している。
そういう世界の人たちには「腹が減ったなぁ・・・」という感覚はあるのだろうか、とふと思った。
常にお腹が満たされていない状態にあれば、それが「当たり前」になってしまうのだろうか。
つまり「腹が減った」というよりは、少し食べた時には「少しは満たされた」という感じで、その後は「腹が減った」ではなく「元に戻った」という感じなのだろうか。
「空腹」は「満腹」を知っているから感じる概念なのだろうか。
どうなんだろう。私にはよく分からない。
今の私の空腹感が、満たされることなく、数日、数週間と続くというのは、本当に想像を絶する世界だ。
私は、大学時代、「発展途上地域における人口増加と食糧供給」というテーマで卒論を書いた。
今にして思えば、非常にチャチで貧弱な内容だったと思う。
しかし私は未だに飢餓で苦しむ人たちのことを時々は考える。
特に、自分が「食べ過ぎた」と感じる時だ。
つい先日の正月休みを振り返るだけでも、私には「暴飲暴食」の機会がかなりあった。
この時期に、体重がいつもより1~2キロほど増えた。
それが、昨日、おとといと体調を崩してあまり食事をとらなかっただけで、元の体重に戻った。
私は、体重計に乗って「最近太ったな」と思うときには、いつも飢餓に苦しむ人たちを想像することにしている。
飢餓に苦しむ人たちが、空腹感が満たされぬまま、そのまま何日も過ぎていき、次の食糧にありつける希望も持てない状況にいる、ということを考えると、「今の自分の空腹感くらい、なんてことはない!」と思えるのだ。
実際に世界の飢餓の問題を解決するのは難しい。
私が生きているうちに人類がこの問題を解決できるかどうかも怪しい。
だが、「偽善」と言われようと、時々はそういう地域の人たちのことを考えるのは大事なことだと思う。
「意識」すれば、少なくとも自分の中のその部分は変えることができる。
「意識」しなければ、何も変わらない。
だから、どんなことでも、まず「意識」することが大事なんだろうと思う。
だけど私は自分勝手でわがままで忘れっぽいから、すぐにそんなことも忘れて、また暴飲暴食をやってしまうだろう。
本当に「偽善」だとは思うけど、何も意識しないよりはマシだろうか?
そう思って、今日の晩ご飯は控え目にしておこうっと。
ゾクゾクと寒気がして、熱があるかな~と思って計ってみたら、なんと38度5分もあった。
こういう感じの体調の悪さは久しぶりだ。中二の時以来かもしれない。
そういうわけで、昨日はたまたま休日だったので家でおとなしくしていた。
ひたすら寝ること10時間。
昼頃目を覚まし、買っておいたウィダーinゼリーを2つ食べて、また寝た。
夜に正月用のもちの残りを食べ、また寝た。
昨日は結局、ほとんど食事らしい食事をとらなかった。
今朝起きて、起きる時間が遅かったというのもあって、食事も取らずに仕事にでかけた。
通勤途中で「腹が減ったなぁ・・・」と思ったが、ここで、ふと考えた。
今、私は空腹を感じているが、時間さえとれれば空腹感は満たされるだろう。
それは少なくとも、あと何日後とか何週間後という単位の話ではなく、数時間後、あるいは数十分後という単位の話だ。
ところが、世界には、本当の飢餓に苦しむ人々がいる。
彼らの場合は、それこそ「何日」も、「何週間」も、あるいは「何ヶ月」もの間、空腹が満たされないままだ。
次に、いつ空腹が満たされるのか、約束などない世界が、私達の知らないところに存在している。
そういう世界の人たちには「腹が減ったなぁ・・・」という感覚はあるのだろうか、とふと思った。
常にお腹が満たされていない状態にあれば、それが「当たり前」になってしまうのだろうか。
つまり「腹が減った」というよりは、少し食べた時には「少しは満たされた」という感じで、その後は「腹が減った」ではなく「元に戻った」という感じなのだろうか。
「空腹」は「満腹」を知っているから感じる概念なのだろうか。
どうなんだろう。私にはよく分からない。
今の私の空腹感が、満たされることなく、数日、数週間と続くというのは、本当に想像を絶する世界だ。
私は、大学時代、「発展途上地域における人口増加と食糧供給」というテーマで卒論を書いた。
今にして思えば、非常にチャチで貧弱な内容だったと思う。
しかし私は未だに飢餓で苦しむ人たちのことを時々は考える。
特に、自分が「食べ過ぎた」と感じる時だ。
つい先日の正月休みを振り返るだけでも、私には「暴飲暴食」の機会がかなりあった。
この時期に、体重がいつもより1~2キロほど増えた。
それが、昨日、おとといと体調を崩してあまり食事をとらなかっただけで、元の体重に戻った。
私は、体重計に乗って「最近太ったな」と思うときには、いつも飢餓に苦しむ人たちを想像することにしている。
飢餓に苦しむ人たちが、空腹感が満たされぬまま、そのまま何日も過ぎていき、次の食糧にありつける希望も持てない状況にいる、ということを考えると、「今の自分の空腹感くらい、なんてことはない!」と思えるのだ。
実際に世界の飢餓の問題を解決するのは難しい。
私が生きているうちに人類がこの問題を解決できるかどうかも怪しい。
だが、「偽善」と言われようと、時々はそういう地域の人たちのことを考えるのは大事なことだと思う。
「意識」すれば、少なくとも自分の中のその部分は変えることができる。
「意識」しなければ、何も変わらない。
だから、どんなことでも、まず「意識」することが大事なんだろうと思う。
だけど私は自分勝手でわがままで忘れっぽいから、すぐにそんなことも忘れて、また暴飲暴食をやってしまうだろう。
本当に「偽善」だとは思うけど、何も意識しないよりはマシだろうか?
そう思って、今日の晩ご飯は控え目にしておこうっと。