先日、昼過ぎのテレビ番組で、歌手の北島三郎さんがゲストで出ていた。
視聴者から「北島さんのようにいつまでも素敵な歌声を維持するには、何か秘訣があるのですか?」という、なんともベタな質問があったが、北島さんは真摯にこう答えた。
「それはたぶん、私達歌手は、毎日声を出し続けているのが良いのだと思います。
声帯というのは、ずっと使っていれば、ちゃんと鍛えられていくのではないでしょうか。
たとえば、船乗りはたいていは船酔いしないものですが、10日も船に乗らないでいると、船乗りでも船に酔ってしまうと言います。
毎日、船に乗っているからこそ、酔わなくなるのです。
それと同じで、毎日、声を出して使っていれば、声はきちんと出てくれるのだと思います。」
ふむ。
さすが大御所、言うことに説得力があるなぁ、と感心してしまった。
そうなんだ。
何事も、自分が持っている力を「使い続けること」こそが、その力を「維持すること」につながるはずだ。
そして、自分が得た力を使い続けて、「熟練度」が増していくと、そのことに関連する身体の部位が「軽く」なっていく。
歌手なら、おそらく、熟練度と共に声が出やすくなるのだろう。喉が軽くなる、と言えるだろうか。
ピアノやギターなどの楽器を演奏する人なら、熟練度と共に、指が軽くなったり、腕が軽くなったりするのだろう。
ロッククライマーやサーファーなども、熟練度と共に、身のこなしそのものが軽くなるのだろう。
そして、「熟練度」に比例して「軽さ」を獲得していくと、初めて見たり聞いたりすることでも、すぐに対応できるようになる。
ピアノの熟練度が高い人は、聞いたこともない曲の譜面を見ても、指の「軽さ」によって、すぐに弾けてしまうはずだ。
それどころか、譜面さえなくても、指の「軽さ」によって指が勝手に動いて、「即興」で曲を演奏することだってできてしまう。
つまり、こういうことだ。
「日々の繰り返し」と「熟練度」は比例する。
「熟練度」と「軽さ」は比例する。
「軽さ」と「新たなものをその場で生み出す力」は比例する。
この図式を英語の学習に置き換えてみる。
私の教室では、「音読」や「暗唱」を指導している。
生徒の中には、「同じ物語の英語ばっかり繰り返していても、実際の会話では自分で自由にしゃべりたいのだから、暗唱だけでは会話ができるようにならないのでは?」と思っている人もいる。
しかし、敢えて、同じ物語を、ひたすら何度も繰り返し「音読」したり「暗唱」したりするとしよう。
すると、上に書いたような図式が成立していくのだ。
毎日「口」を使って、英語の音を出す訓練をし続ける。
すると、だんだんと「口」が軽くなってくる。
すると、普段音読したり暗唱したりしている英文ではない、別の新しい英文を見た時に、すぐに、簡単に発音できるようになる。「口」が勝手に発音してくれるのだ。
それどころか、「口」が十分に軽くなれば、その場で、即興で、自分の言いたいことを英語で表現できるようになる。
もちろん、英単語や英文法の知識がここに必要であることは言うまでもない。
しかし、言語のコミュニケーションとは、元来「口頭」で行われるものである。
「筆談」という形式のコミュニケーションは、「口頭」での手段が断ち切られた場合に仕方なく用いられるものであって、普通は「口頭」で済ませるのが手っ取り早い。
英語で、すぐに思ったことを口にして言う、ということができるためには、英語を発する際に、口が「軽く」なっていなくてはならない。
口が軽くなっていない人が、すらすらと会話ができるはずがない。
では、どうやって口を軽くすれば良いかと言えば、それは、結局は「日々の繰り返し」になるのだ。
北島三郎さんのように、何十年も歌手として活躍されてきた方だからこそ、「日々の繰り返し」という、地味な部分に重要性を見出すのだと思う。
「日々の繰り返し」と「熟練度」と「軽さ」のつながりを見出し、最終的には「軽さ」を獲得することが大事なのだ。
「軽さ」を手にした人は強い。
それが「歌」であれ、「楽器」であれ、「スポーツ」であれ。
あるいは、「英語」であれ。
何かを会得したければ、「軽さ」を求めて、「日々の繰り返し」を大事にすると良い。