今までにない落ちようで、

参加するのも恥ずかしいと

感じるくらい。。

 

合わせる顔がないなぁという

気持ちで向かいました。

 

 

「落ちてるひとが、

いち、に、さん…三人、四人。」

 

そのうちの一人、

わたしだなぁと思いながら、

始まりました。

 

 

 

いつものように

情報量がたくさんのお話。

 

途中、真ん中あたりまできて、

「少し楽になったね」

と加藤さん。

 

 

ありがとうございます…

 

 

 

 

 

 

気持ちが救われたのは、

携挙のあとのお話。

 

携挙されて終わりじゃないよ、

と。

 

 

加藤さんの場に入ってから、

使命とか、このために生きるんだ!

みたいなものを、

一旦横に置いておいたわたし。

 

なぜなら、オス♂が強かったから、

そういうのを掲げようとすると、

 

前に出たいとか、

仕事して結果残したいみたいな方に

エネルギーを注いでしまうことが

わかっていたから。

 

それといわゆるスピ系っぽい方向に

行かないように、

という気持ちから。

 

 

 

 

だけど改めて、

下と上に分かれて、

 

上にいった人は

👿を昇華させる役割がある

 

と聴いて、

 

じぶんが上に行けるとは

あまり思えてないけれど、

 

今性根や👿が出てきて苦しいことは、

そのために起きているのかなぁと

思えたら、

すこし楽になったのです。

 

 

 

 

 

去年の10月、一度セッションを

受けさせていただいたとき、

加藤さんにした話があります。

 

 

月刊加藤好洋だったと思うのですが、

それを観ていたとき、

 

『人間が👿、肉体が👿』

 

の話を聴いて、

 

わたしに降りてきた感覚が、

 

肉体の👿を浄化するために、

(霊体、魂が)身体に入って、

(この地に)降りてきた

 

というものだった、ということ。

 

 

じぶんとしては

合っているかなぁと

不安だったのですが、

 

加藤さんにその感覚、

合っているよ、

と言っていただいたことが

あります。

 

 

 

今回、携挙後の話、

やることがあるよ、

という使命の話を聴いて、

 

そのときのやりとりを

あらためて思い出しました。

 

 

 

 

 

 

 

また、加藤さんに起きた、

過去の大変だった話。

 

今起きている大変な話。

 

 

それらを、

 

 

“じぶんの中のものが、

それを起こしている。

 

だからそれに取り組むだけ。

 

それこそが修行だから。”

 

 

そういった意味のことを

話してくださって、

 

そしてその姿を、

見せてくれること。

 

 

それが一番、

わたしには励ましになります。

 

加藤さんの身に起きていることとは

比べものにはならないけれど。

 

救われます。

 

 

 

 

加藤さんがすごいのは

実績はもちろんなんですが、

 

わたしが加藤さんを信頼する、

一番の理由、背景って、

 

“誠実さ”

 

だと今日はっきり感じました。

 

 

実績・結果ももちろんだけど、

結果が出せなかったとき、

うまくいかなかったときの対応、

そこに本当の人柄が出る。

 

そのときの誠実さ。

そこに一番、信用、信頼が持てる。

 

 

 

 

なにか起きたことを、

誰のせいにも、

なにのせいにもしない。

 

不都合なことはぜんぶ、

じぶんの身から出たこと、

起きたこと。

 

その責任を引き受ける、

という姿勢と言葉と、

その後の実際の行動。

 

 

こんなに誠実に、

じぶんの責任だといって引き受け、

そしてその結果を変えていく、

というのかな。

 

さらに言えば、出た結果は、

じぶんの力じゃない、

天のおかげ、と。

 

 

 

こんなひと、見たことないな、

会ったことないな、と思うのです。

 

 

 

 

そこに、勇気をもらいます。

エネルギーをもらいます。

 

 

ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

ここ最近、尋常じゃないほど

落ちていたのは、

 

今までにないくらいの

性根の噴出

 

講演会の前よりも、です。

 

 

 

残虐性、

命を軽視する気持ち

 

こんなことじぶんから

浮かび上がったことない、

というぐらい、

 

命に対して鈍感になっていて、

そのじぶんも恐ろしくて。

 

 

なのにどこかでそこと

同化しているじぶんを感じて、

コントロールできなさが苦しくて、

 

最終的には、

こんなものを周りに

影響させてしまうぐらいだったら、

じぶんの存在を消したい、

とまで。

 

 

 

 

 

わたしが一番落ちたとき

出てくるのは、

 

こんなじぶん、

消えてなくなったらいい、

 

です。

 

 

久々にそれが出てきた。

 

 

 

 

 

ここまで書こうと思ったのも、

加藤さんが

真っ直ぐじぶんを観る

ということをしたときに、

 

『動物が死んだときに、

悲しいと思うときと、

全然悲しくないと思うときがあった

 

悲しくない、

それをまっすぐ受け止めるのは

かなりキツイ

 

愛情がないということを

受け止めないといけない』

 

という、

まさにじぶんに起きたことの事例を

話してくれたから。

 

 

 

 

ここ最近、

あまりの落ちように、

じぶんを満たすことを

していなかったことも

影響しているかも、と、

 

引っ越しのドタバタから、

止まってしまっていた

読書を再開したり、

カフェに行ってゆっくり過ごしたり、

してみてました。

 

 

 

これは合っているかは

わかりませんが、

命を軽視しているときって、

 

知らないうちに、

じぶんの欲望や満たすことを

必要以上に制限、

抑圧しているときかもしれない、

 

と思って。

 

 

わたしはじぶんを楽しませる、

満たすというのが、

ちょっと足りてなかったのかも

しれないな、

と思ったのです。

 

 

カフェにいって

ケーキ食べて、

手帳書いて、考えややることなど、

頭の整理をして、

そして読書して心を動かして。

 

 

落ちてるのは変わらなかったけど、

そう過ごす時間を

意識的に作ってみて、

ちょっとよくなる感覚はありました。

 

 

 

 

 

 

そしてもうひとつ、

足りなかったことがわかりました。

 

それは、

 

できなかったことが

できるようになったこと、

それがどんなに小さな一歩でも、

じぶんにとっての変化、成長なら、

 

それを真っ直ぐ観て、

受け取って、喜ぶ。

 

ということ。

 

 

 

 

徒弟の前々日くらいに、

家事をしていて、

 

料理とか洗い物とか、

洗濯とか、

習慣になっただけでなく、

 

以前より早く

手をつけるようになったな、

早く終わるようになったな、

効率上がったな、

 

料理は新しいことを

少しずつ取り組んで、

食卓に並ぶもののバリエーションが

増えてきたな、

 

といったことを、

ふっと思ったのです。

 

 

 

小さな変化が意識にあがった

 

 

するとちょっと気持ちが

浮上したんですよね。

 

 

 

これって、

徒弟に参加する前に、

徒弟で伝えられる情報と

繋がったってことでもあるかなぁと

ちょっと嬉しく思いながら、

お話し聴いてました。

 

 

 

 

わたしの場合、

ここ、って目指すと、

そこしか見えなくなるところが

あります。

 

小さな変化を喜べなくって、

できてない、と

自分責め、自分否定に入ってしまう。

 

(ここ、劣等感生成のループかなと)

 

 

 

今は聖餐会が

始まったところなので、

目指すものは黒帯ですが、

 

黒帯、強化クラスの

みんなの勢いがすごくて、

ブログ追い切れなくなって

きてしまったり、

 

性根が噴出している

じぶんとくらべて、

みんなの変化が眩しく思えて、

 

ここ最近、

しんどくなってしまったり

してました。

 

 

エネルギー的に

足を引っ張るような動きを

しているなと自覚があったので、

それもイヤでしたし。

 

でもダメをちゃんと観る、

を意識してたから、

それが苦しかったとも言える。。

 

 

 

 

じぶんがどこにいて、

どう変化してきたか。

 

 

いかに♀をやってなかったか。

♂をしていたところから、

 

家事全般をきちんとやって、

猫の世話もして、

最近は週2、3回働きに出て。

 

なんかよくやってるじゃん、

ってそう思えなかった。

 

 

当たり前のことが

やっとできるように

なっただけのこと

 

こんな軽い扱いしかできなくて。

 

じぶんの変化、行動に。

 

 

それが性根の怒りに

繋がるのかもしれない。

 

 

 

 

じぶんが恥ずかしい存在で、

基本できていなくて…

と思ってしまう、

完璧主義的な意識があるので、

 

ひとつひとつ、

できなかったことができた

を認め、喜ぶ

 

ことは、

簡単なようで

ちょっとしんどいですが、

がんばってみます。

 

 

 

 

ブログのタイトルにした、

『ひとつ、ひとつ。』は

そのこと。

 

 

そして認めるだけじゃなくて、

いきなり黒帯目指すんじゃなく、

あ、目指してもいいんだけど、

そこだけに意識向けるのじゃなく、

 

そこに向かっていく、

ひとつひとつのするべきことを

手順踏んで取り組んでいく

 

ということも

しようと思ったのでした。

 

 

 

 

今回の課題として出たことが、

『変化をひとつひとつ、観ていく』

 

 

ひとつ、ひとつ、というのが、

とても響きました。

 

 

というのも、

ここ最近ひいているおみくじ、

共通したキーワードが

 

“焦るな”

“ひとつひとつ”

“慎重に”

“辛抱”

“地道”

“ゆっくり”

 

といったもの。

 

 

それでもいつも、

ゆっくりと叶う、

積み重ねていって喜びになる、

確実に実現の方向へ、

と結ばれている。

 

そこもちゃんと観て、

受け止めることだな。

 

徒弟で加藤さんが

話してくれたことと、

まったく一緒だったから。

 

 

 

 

 

 

さらに昨日、

大雄山で引いたおみくじから。

 

“「千里の道も一歩」から”

 

“樹木が育っていくには

時間がかかります”

 

“何事も焦ってはいけない。

かならず手順を正しく踏んで行動を”

 

“手近な小さなことから

一つずつ片付けていく”

“順序の手抜きをしてはいけない”

 

けれどそうしたらば、

大きな希望がかなう、とある。

 

 

 

ひとつひとつ、順番に。

 

 

 

 

 

これは加藤さんが、

言ってくれた、

 

欲望からでいい、目的を決める。

さらに抽象度の高い目的も、

漠然とでいいから決める。

 

それに対し、

いまのじぶんの状態を

真っ直ぐ観て、

やることを決めて、

順番にやっていく

 

この話、

とくに後半と完全に

一緒でした。

 

 

 

 

ちゃんと受け取れてるのかな、

とちょっと嬉しくも^^

 

 

 

 

 

 

わかっていても

仕組みや制限が強くて、

なかなかできないと感じることもありますが、

(頭でわかっていても

繰り返してしまうこと)

 

そこは申し込んだ個人指導の場で、

7月からになりますが、

しっかり受け取りたいなと思います。

 

 

 

 

 

 

次回の徒弟制度バイブル編は、

5/16(日)とのことです!

 

 

 

 

 

 

長くなりましたが、

読んでいただき

ありがとうございます✨

 

 

 

 

 

 

 

 

加藤さんのお話を直接聴ける機会、

すでに次回が決定とのこと^^

 

【悪魔祓い師 加藤好洋 講演会】

最後のエクソシスムが始まる4

~心を失くした方たちへ~

 

2021年6月6日(日)

 

詳細coming soon✨

 

 

 

加藤さんについては

こちらをどうぞ

 

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>> 【悪魔祓い師*加藤好洋が伝える天と和解する為の秘儀と奥義】

 

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