ヘッドコーチ時代[編集]
2003-04シーズン終了後、彼はドン-ネルソンの下でマーベリックスのプレイヤーコーチとなった。2年間をネルソン-ヘッドコーチに学んだジョンソンは2004年10月28日に引退して専任コーチとなった。そして2005年3月19日にアシスタントコーチからヘッドコーチへ昇格した。
ジョンソンはチームを引き継いだ後、2004-05シーズンを16勝2敗して、プレイオフ1回戦でヒューストン-ロケッツを破ったが、カンファレンス準決勝でフェニックス-サンズに敗れた。ジョンソンは2005年4月に就任後最初の月に月間最優秀コーチに選ばれたがこれは史上初めてのことだった。
2005-06シーズンはより成功したものになった。ジョンソンは2005年11月に再び月間最優秀コーチとなり(自身2度目のそして4月の受賞に次いで、2ヶ月連続)、NBAのコーチとして初の就任後2ヶ月連続受賞者となった。2006年1月28日にはユタ-ジャズを降して50勝12敗として50勝1番乗りを果たした。2月にはオールスターゲームのウェスタン-カンファレンスのコーチとして選ばれた。3月15日には、82試合を指揮した(フルシーズン指揮した)最初のシーズンでの最多勝記録を更新する66勝をあげた。マーベリックスはウェスタン-カンファレンスで2番目の勝率だったが同地区のスパーズが地区優勝したため、プレイオフ第4シードだった。プレイオフでは、メンフィス-グリズリーズ、前年のNBAチャンピオンのサンアントニオ-スパーズ、フェニックス-サンズを倒して、マーベリックスを初のNBAファイナルへ導いた。しかしチームは2連勝したもののその後4連敗して敗れ去った。4月下旬、初めてフルシーズンを通して指揮を執ったシーズンながら最優秀コーチ賞を獲得した[3]。