「おはよう、美咲」
起き抜けのパジャマ姿の娘の顔を見ながら、仙道は愛用のライカを構えて一枚シャッターを切る。
慣れた様子の娘は、いつもの調子で笑う。
この言葉も、こんな行動も、今日で最後になるかと思えば切なくなる。
「おはよう、パパ。お父さんは?」
「キッチンで朝飯作ってる。8時には出ないといけないだろう?」
顎で後姿の越野をしゃくると、そうだもんね、着替えてこなきゃ、お父さんはそういうの煩いから。と笑いながらそう云いながら、美咲はリビングを後にする。
その後姿に、もう一度カメラを構える。
どのくらい、娘の写真を撮っただろうか…。
戸籍上は恋人の越野の娘である、血が繋がった、たった一人の娘の姿を。
娘のおかげで、越野とのつながりは強固なものになった。
繋ぎとめていたい唯一の相手を、縛ることのできる法律はまだ日本にはない。
それを叶えてくれた娘。
でも、ただ、それだけじゃなくて。
愛おしくて、護りたくて。
自分を犠牲にしてまでもいい、そう思うことが出来るようになったのは、娘のおかげかもしれない。
母親である女を恨んだ時期もあった。
「女」であることの最大の武器で、自分と越野を引き裂こうとした女。
でも、今は感謝こそすれど、恨むこともなくなった。
最期はあの女も、娘に救われた『母親』だと判ったから。
ふと、越野を見やる。
いつものように忙しそうにキッチンで動き回る姿を見れば、運動会だ、遠足だ、と弁当を作る度に頭を悩ませていたあの頃をふと思い出す。
どんな想いをして、あの女から娘を引き取ったのか。
どうして、育てようと思ったのか。
それは触れてはいけない部分な気がして、一度も聞けずにいる。
ただ、聞かなくても判る気がする。
自分と同じであろうから。
その眼差しが優しいから。
昨夜の涙が、全てを物語っていたから。
「彰、美咲は?」
テーブルの上には、3人分の朝食。
それも、今日で最後だ。
泣きはらした目をしている越野にカメラを構えると、一枚シャッターを切る。
「そんな写真撮るなよ、悪趣味だな」
そう云って笑う越野の顔は、どこか淋しげで、思わず抱きしめてしまう。
「何、朝からいちゃついてるの?まったく…パパもお父さんも」
別れを告げる娘の姿は、白いワンピース。
どこかウエディングドレスに似ているような気がして、ギュッと胸が締め付けられる。
「美咲も間に入りたい?」
「もう、コドモじゃありませんから…なんてね」
抱きしめた腕を緩め、隙間を作るとその間に娘は入り込む。
抱きつく胸元は、越野で。
二人を抱きかかえるように、仙道は腕を伸ばす。
子供の頃に、二人で抱き合っていると、必ず「美咲も」と云って頬を膨らませたあの姿が、今の姿と重なる。
「お父さん…パパ…今まで…ありがとう…」
声が震えている。
花嫁の朝は、もしかしたら、哀しみの朝なのかもしれない。
ギュッと抱き締める腕に力を込めながら、仙道はじわり、とこみ上げる熱い思いで胸が一杯になった。
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4月26日。
今日の誕生花は、スカビオザ。
花言葉は、『朝の花嫁』
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