「もう、終わりにしよう」


けだるい余韻が残る越野の肌を愛おしく弄る仙道の手が、ぴく、と止まった。


「…宏明?」


その手をやんわりと引き離すと、越野は仙道の薬指に絡まる銀の指輪をそっと抜き取った。
お互いがお互いに誓った、愛の証。
抜き取った越野の指には、一ヶ月前まではそこにあった同じ色のその証はもうどこにもなかった。


「…元々、ムリがあったんだよ…」


それでも、これまで8年やってきたのだ。
今更、何を越野は言うのだろうか…。


仙道には全く越野の真意が読めず、ただ呆然と仙道に背を向けシャツを身に着けている越野を見つめるしかなかった。
何もかもが見えない鎖で縛られたように、身動き一つとれない。


「オレは認めない…そんなの…」
搾り出すようにようやく声を出せた仙道を振り向きもせず、越野はドアに手を掛けた。



「…さよなら、仙道」
最後まで越野は仙道を振り向くこともなく、いつものように名前で呼ぶこともなくそう告げると仙道の視界から消えていった…。











『2000.7.7. H to A』
内側に掘られた文字は、かなり薄くなってきている。
その銀の指輪を眺めた後、越野はそっと自分の薬指に通す。
それは越野には少し大きすぎて。
でも、その指輪からは仙道のあの暖かな体温が伝わってくるようで。
そっと目を閉じる。


『愛してるよ、宏明』

耳元で優しく囁く、甘く低い声が響いてくるようで。

ツン、と鼻の奥が痛む。


最後まで悩んだ。
告げてしまおうかとも思った。
だが、それはきっと仙道のこの先一生の負担になるだけだと思ったから止めた。
その選択は間違っていないと信じたい。


本気の恋だったから。
真面目な愛だったから。


だからこそ、仙道には倖せになって欲しい。
自分の事など忘れて。


ここに来る以上、覚悟しないといけない事だった。
何もなければ、一生あのまま傍にいて…そのまま倖せだったのかもしれない。


でも、起こってしまったから。
それはもう変えようのない事実。


仙道は、知らない。
いや、知らないままでいい。
部隊が変わったことも、その赴任地がどこかも。
知らない方が倖せな事は世の中に多いのだから。


小さく吐息を洩らし、越野はその指輪を抜き取ると胸ポケットに仕舞う。
暖かさは、その指にそっと残っている。


途端、サイレンが鳴った。
何度これが最期だと思ったかしれない合図。
死と隣り合わせの恐怖すら、あの時仙道に別れを告げた時とは全く比にならない。
越野はライフルを手にすると、そこから立ち上がった。











『…次のニュースです』

あれから、どれくらいたったのだろう…。
淋しさを紛らわす為にだけついているテレビ。
その日付は、半年が経ったことを告げているようだが、もっと長い時間が流れているような気がしてならない。


世界の杞憂を垂れ流し続けるメディアは、ただ一人の欲しい情報は流してはくれない。
それは、当たり前の事なのだが。


生活は何も変わらない。
NBAで屈指のプレイヤーと呼ばれ、栄光に満ち溢れた生活は。

変わった事は、越野がいなくなったことと、それに比例して練習量が増えたことだろうか。
グッタリする程身体を動かしているのにも関わらず眠りが浅いのは、越野がいないからなのだろう。


あの後、越野とはまったく連絡が取れなくなった。
自宅も、携帯も、電話は全く繋がらない。
メールを何度送っても、エラーで戻ってくるばかりだ。
学校の仲間に連絡を取ってみたが、誰もその行方を知らないという。
実家に連絡をとろうとしたが、引越しをしたという話は聞いていたがどこに行ったかまでは聞いていなかった。
探そうにも、忙しい身である自分には、自力で探すことすら叶わない。


くだらないニュースを垂れ流し続けるテレビを変えようとしたところで、その音声に手が止まった。
『イラクで大型の爆弾テロが発生し、日本の自衛隊の隊員17名の死亡が確認されました』


自衛隊の言葉に反応してしまう自分。
それは…そこに越野が所属しているから。
ただ、そのニュースが告げている旅団は、越野が所属しているそれとは違う事に少しホッとする。

不謹慎だと自分でも思う。
ただ、それが人間というものなのだろう。


ただ…
妙に胸騒ぎがする。
チャンネルを変えてしまえ、と心が警鐘を鳴らす。

それでも仙道はチャンネルを変えることができずに、そのままニュースに釘付けになる。


『現在判っている方は、次の5人の方です』
淡々と次々に告げられる名前には、越野の名前はなかった。

それにホッとしたのもつかの間だった。
慌てた様子で回って来た紙を見て、アナウンサーがゆっくりと口を開く。


『只今、もう一人の方が判明しました』
背中に、冷や汗が流れる。

嫌な予感がする。
当たらないで欲しい、そんな予感は。




『コシノ、ヒロアキさん…』




くらり。
仙道の視界が回った。


まさか…越野が…。
壊れたレコードのように同じ言葉を繰り返すテレビを仙道は呆然と見つめる。






そして、いつかの越野の言葉が耳の奥に響く。


『真実の愛ってさ、本心は相手には判り辛いものなんじゃねーのかな』



別れを告げた理由。
離れていった理由。



それが判ったのが、こんな形だなんて…


非情な情報が垂れ流されるテレビの向こうに、越野の笑顔が映って…消えた。





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4月22日。


今日の誕生花は、チューリップ。


花言葉は、『まじめな愛』


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