どうしたら、キミはまた笑顔を見せてくれるのだろうか…?
「藤真、そろそろ窓を閉めようか」
先刻まで夕日が当たっていた部屋もうっすらとその影を残して消えていき、代りに夜の帳がうっすらと降り始めている。
晩夏とはいえ、朝晩は冷え込む今日この頃。
しかし花形のその言葉に、何の反応もすることもなく藤真はぼんやりと外を眺めているだけだ。
小さく吐息を洩らして、花形は窓へと近づくとそれを静かに閉めた。
窓を閉めれば、僅かに聞こえていた木々のざわめきすら消え、シンとした静寂だけがあたりを包む。
まだ、あの頃の方が良かったのだろうか…?
最近の花形の疑問だ。
あの頃は寝ても覚めても泣き狂うだけだったが、まだその方が良かったのかもしれない。
こんなに感情を無くし、虚ろな瞳で何を考え、何を見つめているのかわからないくらいなら。
牧が死んでから、かれこれ半年が過ぎようとしている。
現代ではまだ治療の方法が確立されていない、『精神の死』と呼ばれる病気にかかり、藤真が懸命に看病した甲斐もなく…発病から一年後、最期は藤真の手を握り締め眠るように逝ったと聞いた。
藤真の狂乱ぶりは、半端ではなかった。
通夜も、葬儀も、その痛々しさに誰もが涙したぐらいだ。
火葬場で自分も一緒に入る、と物凄い力で入っていきそうになるのを、何人がかりで留めただろうか。
ろくに食事も喉を通らなかった人間なのに、それでもどこにそんな力が残っているのか、という力で。
それ程までに愛し、愛される、というのは、どんな愛だったのだろうか。
誰もが口には出さなかったが、藤真の姿を見てそう考えていたのは事実だろう。
そして初七日の日。
とうとう藤真が倒れた。
連絡を受けた花形が病室へと向かうと、鎮痛剤が効いているのか眠っている藤真は、以前の面影もなく痩せ細り、青白い顔をしていた。
牧が死んだのだから、もう牧の家には居られないから、と実家に戻ってきたらしいが、父親によれば食事もとらず、ろくに眠りもせず、ずっと泣いていたらしい。
初七日の法要が終わり、帰る途中での昏倒だったらしく、牧の両親も相当に心配していた、という話だった。
ちょっと入院の手続きがあるので、と、父親が席を外した。
一番の親友である自分が居るのなら、藤真も安心するだろうから、という事でだった。
じっと見つめた。
高校時代から、ずっと見つめていた。
チームメイトとして、そして愛する人として。
花形がそれを自覚した頃には、既に藤真は牧とそういう関係にあったからそれを告げることはなかったけれど。
三年間、自分達を叱咤激励していた面影も消えうせているのに、あの頃の笑顔だけがふと浮かぶ。
あの頃が、一番倖せだったのか…?
ふとそう思いながら、色素の薄い髪を撫で上げた。
愛しい想いを込めて、そっと。
ぴく、
何度かそうした頃、小さく指が動き、睫が影を落としていた瞼がゆっくりと開かれた。
「…もう少し、寝てろ」
「………花形………」
少しホッとしたような、それでいてまた泣き出しそうな顔をしている藤真を、花形はそっと制し、髪を撫でていたその手をゆっくりと離そうとした。
途端、藤真はその指を、ギュッと握りしめてきた。
「…藤真?」
「傍にいてくれよ…頼む…」
懇願するような瞳の藤真に、花形が逆らえるわけがなかった。
それから…。
藤真の立っての願いで、藤真の父親が所有するマンションの一室で同居するようになった。
少しづつだが泣き喚く回数も減り、食事も摂る様になって安心しはじめた頃、今度は感情を現さなくなってしまった。
一日、ただぼんやりと外を眺めているだけの日々。
色んな事を試してみたけれど、何もかもが空振りに終わり、さすがの花形ももう何をしていいか判らなくなってきていた。
元に戻ってくれ、とは云わない。
せめてあの笑顔がもう一度見られるなら。
ふと藤真の見つめる窓の外を見やった。
窓の外には太陽を追いかけるようにそこに佇んでいた月が、宵闇の力を借りてぼんやりとその実態を現し始めている。
『…オマエの作るオムライス、すごく美味いんだよな』
つと思い出す、そんな言葉。
あの日もこんな夜だった気がする。
気が早すぎだよ、あの月、もっと根性出せよ、オレみたいに、と月に向かって毒づいていた藤真。
『お袋がさ、昔作ってた味にそっくり。オレ、すごい好きだったんだけどさ。もう食えないって思ってたから…嬉しくて…』
はにかみがちに笑った笑顔が同時に浮かぶ。
そうだ…これだけは試していなかった。
もう、何も手立てがないと思っていたけれど、もしかしたら…
花形は藤真の髪を軽く撫でると、キッチンへと向かった。
あの笑顔を、もう一度見るために。
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4月16日。
今日の誕生花は、ブルビネラ。
花言葉は『試行錯誤』
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