2月15日に、友達が逝ってしまった。
わたしのジャムを「おいしい」と、一番たくさん買ってくれたお客様でもある。
入院中は一度しか会いに行けなかった。
昨日、告別式に行ってきた。
一昨年の暮に義理の叔父が亡くなった。
震災の時に、避難していた先の主である。
昨年の暮には高校時代の恩師が亡くなった。
芝居に夢中になった、きっかけの先生である。
泣けなかった。
多分、それが病気なんだと思った。
義理の叔父も、高校時代の恩師も、失いたくない人だった。
涙は出なかったし、「悲しい」という感情も沸いてこなかった。
「自分が死に近いから」他人の死は、さほど衝撃的ではないのだと思っていた。
昨日の告別式で、たくさん泣いてしまった。
大勢の人に見送られて
叔父も、先生もそういう人だったから、きっと寂しくないだろう。
友人の告別式では、たくさんの人は居なかった。
理由を付けたい訳ではないけれど、そんな理由なのか、または違うのか、自分でも解らない。
ただ、今生きている友人に、片端から会いに行きたくなった。
遺族に挨拶をし、会場を後にし、車に乗り込むと、嗚咽を漏らしながら泣いた。
自分に酔う訳でもなく、喪失感でもなく、あたたかな思い出だけが、涙をこみ上げさせた。
ずっと、
泣きたかったんだ。たぶん・・・
ありがとう コロちゃん。