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ブログ再開!うちのおこちゃま達が見ても大丈夫なブログに今度はするぞー!!

ごめんなさい。広告ペタが多いため、ペタの設定をできなくしました。

ビジネススクールで学んだこと。


ビジネスプランに儲かる要素があると、お金を貸してくれる人がやってくること。


でも、本当はそういう人たちからは借りたくない。


当然、キャピタルゲインを最大に求めているのだから・・・。


お金が、お金を生む。投資のシステムができあがった時に、架空の価値が発生したのだと思う。


本当に、価値のあるものって、なんなんだろう。


「こつじきの精神」という言葉を、大学のときに教わった。


実際にこの言葉を放った人は、もともとは豪奢な生活を送っていた人だけれども、「無常観」や「一期一会」に悟りを得たのか、毎日もっともいらないと思うものを一つずつ捨てていったのだそうだ。


どうしても、捨てられなかったものだけを背負い、旅に出ました。


私たちのプランは、お金を儲けたいという主眼にありませんでした。


「無」から「在」に変えることのできる人たちに、相応の利益をもたらす、そんなプランです。


だけど、その集合体には物凄く大きな利益が生まれることが、予想できます。


そして、1つ所で成功すれば、あるボリュームまでは加速度的に増えていき、高付加価値な集合体になることが予測されます。


今まで、大手や付加価値を付けていなかった企業が半ば独占していた様な、利益をプラスの方向に循環させていく仕組みでもあります。


食べる人は、それを売った人のために買い、それを売った人たちは、それを加工した人のために買い、それを加工した人たちは、それを作った人たちのために買い、それを作った人たちは、それを食べる人たちのために作る。そういった循環と逆方向に利益が回っていくのです。


投資対象と考える人たちには、それを自分たちに最大限戻す部分を作ろうとします。誰かが、どこかで自分のために、利益を多く儲けようとするとバランスが崩れ、そのバランスを調整するために、あるはずのない価値が生まれる。それでは、元々のプランの意味がなくなってしまう。


現在の世界経済の破たんは、その崩れたバランスを取ろう取ろうとして、立派な橋が、吊り橋になり、吊り橋が木を渡した橋になり、今では平行棒の上を歩いている、いや綱渡りというのでしょうか、そんな様子にさえ思えます。


今日は、「復興起業家なんたらかんたらキックオフ」というのに参加してきました。


「実存主義」ただ、この地球上に物質として存在するものには、それぞれ同等の価値しかない。


ちょっと、解釈が違うと思うけれど、マクロスペースから見たら、地球上の物質に大した違いはないのだから、せめて存在している間だけでも、みんながみんなの「Happy」のために、生きていられる世の中にしたいと思う。


この集まりが、復興という名の中で、利益を得ようとする人たちの集まりでないことを祈ってます。