この度、10月15日に京都ARCDUEX(四条河原町より少し南)
というライブハウスで、Linkin Parkのコピーバンド(バンド名:Breaking the habit)としてライブさせていただくことになりました。持ち時間40分、10曲ほど演奏させていただく予定です。もし、京都近郊にお住まいで、Linkin Parkが好きだという方がおられましたら、是非一緒に彼らの曲を分かち合いたいので、遊びに来ていただけたら嬉しいです。今のところ、このバンドはこのライブ一回限りの活動の予定です。
日程:10月15日(日曜)
場所:京都ARCDUEX(京都市下京区河原町通高辻下る清水町454-1[林ビルB1])
チケット代:1500+500(ドリンク代)
時間:OPEN 17時・START 17時半
Breaking the habitの出番は20時10分から40分間の演奏予定
以下、この機会に自分なりに思うことを書いてみたいと思います。というより気づいたら、ついついライブと関係ない話を書いてしまったのです。よかったらお付き合いください。
Linkin Parkは言わずもがな00年代以降のアメリカを代表するロックバンドであり、また先月に稀代のボーカリストであるチェスター・ベニントン氏が亡くなったことも知られていると思います。
10代の頃に彼らの音楽と出会い、様々な音楽を聴くようになっていった現在に至るまでの中でも、リンキンパークの音楽・そしてチェスターの歌声というものは自分の中で根強く、自分にとってのロックの模範や基盤といった存在でした。
チェスターの黄昏の夕日を思わせる艶を持った美しい高音に、痛みを隠さないスクリーム。その圧倒的な歌唱力に加え、僕が彼に憧れるのは、ナイーヴな心を実直に表現する彼の姿勢でした。
初期から一貫して彼の綴るリリックは自らの痛みや脆さをあまりに正直すぎるほどに表していました。例えば大ヒット曲であるNUMBでさえ、そこに描かれているのは「他者に期待される理想像に苦しめられる自分」というナイーヴなテーマで、それが世界中の誰もが口ずさめるほどのシンガロング曲として浸透している事実は感動的に思います。
チェスターは幼少時から虐待などの苦しい人生を歩み、ドラッグに溺れていたと聞きます。そんな彼がロックという表現手段に出会ったことは必然なのかもしれません。特に彼自身が後にボーカルの代役を勤めたSTONE TEMPLE PILOTSなどのグランジロックは彼に大きく影響を与えていたそうです。
グランジといえば退廃的な世界観と刹那主義とも言える生き方が反映された音楽で、その生き方を証明するように若くして命を落としてしまった人々がいました。NIRVANAのカートコバーンをはじめ、戦術のStone Temple Pilotsのスコットウェイランド、Alice In Chainsのレインステイリー。そして、今年5月に自殺で亡くなった、チェスターの大親友とも言われていたSOUNDGARDEのクリスコーネル。
リンキンパークはグランジバンドではありませんが、今思えばチェスターのナイーヴな表現をヘヴィなサウンドに乗せて昇華する姿勢は極めてグランジ的であった気がします。でもそこにあるのは破滅に対する憧憬としての魅力ではなく、その痛みの中でも踠きながら生きようとするその生命力こそが、真に彼らの人々を惹きつけてやまない魅力だったのではないかと思います。
少なくとも自分はそうしてリンキンパーク・そしてチェスターの声に勇気付けられて生きてきました。「こんなに痛みに塗れているのに、彼は懸命に生きている」という事実が美しく、自分も命を全うせねばという気持ちになれました。多分、チェスター自身もグランジのバンド達に勇気付けられ、そんな彼にとって、クリスコーネルはどこまでも強く深くシンパシーを覚える相手であっただろうことは想像に難しくありません。けれどそんな相手であるクリスが、この世に生きることを諦めてしまった。その事実は、生きる支えそのものを失ったような出来事だったのだと想像します。「同じ境遇の彼がこの世を共に生きているから、自分も生きていられる」、それくらい彼にはクリスの存在が大きかったのではないかと。クリスの誕生日を自分の命日に選んでしまうほどに。
自殺、もちろんするべきではないです。
けれど自殺してしまった人の胸中は誰にもわかりませんし、想像ができない以上は一概に非難する権利もないと思うのです。
僕の想像では、彼はもう生きている間ずっと悪魔と戦ってきたのだと思います。そして悪魔はいつまでも居なくならない。というより、誰の側にもいるのだけれど見えないだけで、一度見えるようになった人は常に奴らにコントロールを奪われる可能性がある中を生きて行く事になるのだと思います。チェスターは若くして悪魔と戦う日々が始まり、亡くなるまで戦い続けたとのだと思います。何十年も死からの「楽になれよ」という誘惑に負けずに生きてきた彼が、弱者なわけがありません。能天気に生きている人間にその辛さがわかるわけがないでしょう。
僕は彼は命が尽きるまで、理性を守るエネルギーの一滴がなくなるまで戦い抜いたのだと思います。クリスの死が、チェスターをこの世に繋ぎ止める最後の理由が失われた時、彼をこの世に留められるものが尽きたのかもしれません。その結果、彼は死に奪われた。しかしこの世で何人がそれだけ長きに渡って生き延びることができるでしょうか。彼はあまりにも苦しみを知りすぎた、世界的に成功しても、愛する家族ができても、それを払拭できないほどの。
結果的にチェスターの遺作となってしまったリンキンパーク最新作“One More Light”はその戦いを記しているようにも思います。
ロック的なサウンドアプローチを封印しポップなサウンドに転換した事で旧作のファンから批判を浴びました。確かに賛否両論あると思いますし、自分も名作とは言えないと思っています。
しかしながら、削ぎ落とした音の中にあってより浮き彫りになり聞こえてくるチェスターの言葉は、以前よりも更にナイーヴさを増していました。言うなれば、表面的でなく本質的な「ヘヴィさ」を持った作品だと思います。それだけ魂を込めて自らを投影した楽曲達。しかしそんな作品たちを非難されれば、「世界は自分を認めてくれない」という錯覚に陥っても仕方ありません。(どこかのフェスで、新曲群を演奏した途端にゴミを投げられたという話もありました。なんと悲しい話でしょう。)
冒頭Nobody Can Save Meで「悪魔とダンスをする(先述との悪魔との戦いの果てに、彼は悪魔を受け入れたのかもしれません)」と歌い始め、先行シングルHeavyでは「耐え続けている、なんで全てはこんなに重いのだろう」と苦悩を隠さない。彼の最後の訴えだったのかもしれません。
ですが、それほどまでの彼の実直さが慈悲となって表れているのがタイトル曲One More Light。
亡くなってしまった人に宛てた歌。「無数の星々の夜空から、光が一つ消えたって誰も気付くだろう?誰かの時が尽きたことを誰が気にかけるだろう?僕が気にするよ」と祈るように紡ぐチェスター。この曲は過去にリンキンパークの元で働いていたがガンによって亡くなったスタッフの方に宛てて書かれたそうだが、この普遍的なテーマをもって、彼らはクリスコーネルを追悼する形でも演奏した。その時の映像は涙なしでは語れません。チェスターは、誰より真っ直ぐ他者を愛する人だったのではないでしょうか。
カートコバーンは亡くなる直前にAll Apologies、Pay money To my PainのKはRainという穏やかな曲を遺しましたが、死というものはなぜ彼らに愛を悟らせ、慈悲というものを描かせるのでしょうか。One More Lightもまたそうした曲に思えてなりません。人の命が果てる時、そこに残るものは悲しくも美しい。
気づいたらここまで綴ってしました。まとまりがなくてすみません。ただ自分が思うのは、自らの痛みをさらけ出して美しく昇華してくれたチェスターの歌はいつまでも自分を救うだろうということです。自分も懸命に生き抜かねばと。
今回のライブでLinkin Parkを演奏する事になったは偶然なのですが、自分としてはこれほど光栄なことはありません。もちろん歌唱技術は遠くチェスターに及びません、比べるのもおこがましいです。しかし、彼らの懸命に命を輝かせた証である楽曲を、少しでもしっかりと表現できたらと思いますし、見に来ていただける方々と分かち合えたらと思います。しっかりと準備を進めています。一緒に演奏してくれるメンバーの技術も申し分ないです。しんみりというより、単純に彼らの楽曲の素晴らしさを楽しく表現できたらと考えております。よかったら、一緒に歌って共に素晴らしい時間にできたらと思います。よろしくお願いします。
メンバーは以下です。
ボーカル・ピアノ:Mitzki(ex Affection Propagandist)
ギター・コーラス:Ikkun(ex $tock Out)
ギター:HAYATO(Ebony N' Ivory)
ベース:Ichi(Ebony N' Ivory)
ドラム:Luigi(The Mayflowers)


