1985/7/25 雑誌「週刊明星」これがダンプ松本の素顔&少女時代だ! | 時系列でみる! 極悪同盟 ダンプ松本 ファンブログ

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極悪同盟(特にダンプ松本さん)のプロレスを時系列で整理します。思い入れのある雑誌処分のためブログに残して廃棄します。「テーマ別」で時系列で閲覧することができます。妄想で書くこともしばしばですが1年(+α)かけてやる予定です

1985/7/25号の雑誌「週刊明星」にダンプが特集されましたので引用します。

 

ダンプの幼少期から全女に入門したころまでの話が、かなり詳しく書かれています。

後年にダンプは自伝のような本が多く出版されており、そちらでも詳しく書かれていますが、本誌にしか書かれていない情報もあるので、貴重なインタビューです。

 

 

 

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決死インタビュー ダンプ松本の素顔&少女時代だ!!

涙もろくて、ミーハーな少女が今、なぜフォークをふりかざす? 

 

「かわいかった頃の話? ざけんじゃねえよ!」ビシッ、バシ ツ、ガッチャーン!!! 記者は取材前夜、こんな夢をみました。 しかし、当日、ダンプはニッコリ笑って「よく撮れてる写真だけ持ってきちゃった、よろしく~」。ウーム、かわいい。でも手はにぎれなかった。だって、やっぱりオッカナイもんね!!
 

『スター誕生!』でずうとるびを熱唱!
 

●カエルつぶしの幼少時代

 

 小さいときから男の子とばかり遊んでました。カエルつぶして、 足をもいで、その足に糸を巻いて川へボーンと投げるとザリガニが釣 れる。カエルは土に投げつけても死なないけど、水の上に投げるとすぐ死んじゃう。ハハッ、残酷な遊びをしてましたね。
 

釣ったザリガニは家で飼ったり、みんなで競走させたりとか。 カブトムシもよく捕ったね。早朝4時ごろ行くと、電柱の下にい っぱい落ちてた。ちょっと遅れて行くと自転車に踏みつぶされちゃってるから、 夜中に起きて行ってた。家は埼玉県の熊谷。今は新幹線が通って道路も広がったけど、当時はすごい田舎でしたね。
 

●男を泣かす怪力小学生?
 

ふつうの女の子でしたよ、小学校3年までは球技が好きで、休み時間はドッジボールしたり。 それが3年の途中で急に太りはじめちゃって。といってもポチャッとした程度ですよ。せいぜい50kgちょっと。ライオネス飛鳥なんて違うからね。飛鳥はデブですよ、 あれは。小学校6年で80kgもあったんです。大森ゆかりは中学2年で84kg。自分なんかスマートなほうです。
 

でも力はありましたね、小学生のころから。よく男の子を泣かして怒られてた。弱いものいじめをするヤツとか、グジグジいうヤツに腹立つんです。女のほうが強かったですね、うちの学校は。熊谷市立東小学校というところでしたけど。
 

●少女野球のライバルは飛鳥


人形なんて嫌いでしたね。妹が髪の毛の長い人形を持ってると、 床屋さんごっことかいって、丸坊主にしてました。人形買うんなら 野球のグローブ買ってくれと親に言ってました。
野球といえば、ニュー・ヤンキーズのオーディションを受けたんです。そのころから女子プロレスのマッハ文朱さんが好きで、ニュ ―・ヤンキーズに入ると、女子プロレスチームと試合ができるというので。

 

で、第一次予選で落ちました。 ふたりずつペアを組んでキャッチボールをやるテストなんですけど、たまたま相手の人が全然だめで、つづかなかったんです。 そのオーディションには飛鳥もきていて、受かったんです、あいつは。
 

●野球の次は『スタ誕』挑戦
 

中学のときは『スター誕生!』 に出場して、これもすぐ落ちました。
高校受験直前に友だちふたり連れて内緒で行って、あとでバレて怒られて...。目立ちたがり屋だったんです。何でも挑戦したかった。 会場は有楽町の読売ホールで、ずうとるびの曲を歌ったんです。 好きだったんです、ずうとるびも。
 

中学校は富士見中学というんですけれど、よく今言われるんですよ。不良だったんじゃないかとか。
ふつうでしたよ。悪い友だちも少しはいましたけどね。
クラブは最初バスケット部に入ったんですけど、走らされてばっかりでなかなかボール持たせてくれないからやめて、水泳部に移ったんです。 平泳ぎでいつも大会にでてましたけど、県大会になると予選落ちでした。いろんなことやったけど、 中学のときはもうプロレスラーになりたい、という気持ちが強かったですね。
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「ダンプが小さいころは男の子のようだった」というのは自伝にも書かれていますが、妹の人形を取り上げて丸坊主にしていたというのは本誌で初めて知りました。この頃から髪切り丸坊主に興味があったんでしょうか(笑)

スター誕生、ニューヤンキースの話は有名ですが、ずうとるびの曲を歌ったんですね。またバスケット部というのは何かの自伝に書かれていたような記憶がありますが、ボールを持って目立ちたいという、"目立とう精神"は変わらないようです。

 

 

 

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優しいパン屋のお怖さんのはずが・・・
 

●ダンプの父は"トラック松本"

 

家族は両親と妹がひとり。3つ違いで、今バスガイドやってます。小さいときはお父さんに温水プールとか連れてってもらった記憶があるけど、家族全員でどこかへ行ったというのはないですね。
 

自分も部活で忙しかったし、お父さんは仕事で家にいないほうが多かったんです。トラックの運転手をやってたから。父親がトラックで自分がダンプというのは、ま ったく偶然ですけど。 

 

●ジャッキー追っかけ時代 

 

高校は大宮の女子校に通ってたんですけど、もうこのころはハッピ着て女子プロレスを追っかけてました。ハッピのうしろに"ビュー ティペア"って書いてあって、ジャッキーさんのサインももらって。 熊谷に近いところの試合は全部行って、控え室をのぞいては外人選手にいじめられてた。サンディ・ パーカーという選手に思いきり蹴飛ばされたり日本の悪役に金網投げられたり。今は自分が逆の立場でやってんですけどね。 

 

女子プロレスのマネージャーやってる小川さんも大宮で見たことあるんです。小川さん、髪の毛長くてね、みんなで「ワッ、お化け!」とか「気持ち悪い男」とか言って騒いでた。そのへんの変人かと思ったら女子プロレスのオーディシ ヨンのときもいたんで「キャ~!」って逃げちゃいましたよ。 

 

●理想は太川陽介・中村雅俊 

 

太川陽介のサイン会も行きました。キンカ堂というデパートにきたんです。あと、中村雅俊も好きなんです。ドラマ『われら青春』 を見てカッコいいなと思って。 完全テレビッ子なんです。

ドラマ大好き。『スクール・ウォーズ』 なんて、よく見て泣いてました。 今は再放送の『パパと呼ばないで』とか『高校聖夫婦』なんか見 て泣いてんですよ、私。 

 

●パン屋さん就職デスマッチ
 

高校のとき、女子プロレスのオ ーディション受けて落ちちゃったんです。自分としてはあくまでプロレスに進みたかったんだけど、学校と親のこと考えて、一応就職決めたんです。


川口市のパン屋さんに行くこと になった。そこの寮に入れば東京にプロレス見に行けるし、友だちの家も近いんで勝手に自分で選んじゃって。そしたら高校卒業したあと女子プロレス・オーディション受かっちゃった。その日が4月1日で、2日はパン屋さんの入社式だった。
 

で、プロレスに行くといったら 親は危険だからやめろと言うし、先生は一度決まった就職を断わると次の年から採ってくれないとかって叱られたんだけど、とにかく自分は絶対プロレスへ行くと言いはって就職を蹴っちゃった。 

 

●目黒のバイト荒らし少女 

 

オーディションは受かったけど、 プロテストには落ちちゃって。女子プロレスの練習生やってたんですけど、お金がないからバイトしなくちゃならない。
 

目黒の吉野屋のトナリの本屋さんでレジを打ったりとか、駅のターミナルビルの地下で皿洗いしたり、もういろんなことやってまし たね。それもみんな目黒駅の近く。 で一時期"目黒のバイト荒らし"なんて言われてました。

 

モーテルで、ひとり震えるカオルちゃん
 

●地方モーテルひとり寝時代

 

私の同期生はライオネス飛鳥と 長与千種、大森ゆかりなんだけど、 自分だけ運転免許を持ってたのでプロテストにうかる前、営業やってたんです。
 

よく走ってるでしょう、上にプロレスの看板つけて走ってる宣伝 カー。あれの運転やってた。
練習生より、営業のほうが給料高かったんです。 でも、
免許取りたてだったんですよ。1度社長を乗せて目黒を一周したら「これなら大丈夫」というんで、ひとりで地方に行かされて。泊まるところといったらモーテルですからね。「おまえなら男に触られる心配もない」なんて言われて。
 

いつも6千円ぐらいの変なところでね、気持ち悪いんですよ。ほかの人は男女のふたり連れで入ってくるし、夜中にトナリの声が聞こえちゃったらどうしよう、なんてね。
 

部屋でテレビ見ながら、イヤだなぁこんなとこ、と思ってました。 テレビでプロレス中継があるときは、サボッて見てたりして。今日はどこどこを回ったという営業と、地図を見て適当に行ってない地名書いときました。 

 

●ジャッキーのショック発言

 

プロテスト受かって、憧れのジャッキー佐藤さんの後輩になれても、あの人は遠い存在で口もきけないしね。おなじバスに乗って「おはようございます」ってあいさつしても返事してもらえない。 ジャッキーさんが眠ってると、おしゃべりもできないし緊張の連続。 お菓子も食べられない雰囲気で。だけどずっと憧れてたから、ジャッキ ーさんが着替えてると、知らないうちにジッと見ちゃうんです。「なんか用?」とか言われると「いや、別に...」なんて下向いて、ジロッと見られるとドキドキしたりしてね。
 

ある日、自分が着ていったTシャツ、短パン、ハイソックスが、たまたまジャッキーさんのとおなじようなのになっちゃって。「私のマネしないでくれ」って言われました。あれ、ものすごいショックだった...。そのうちに少しは言葉 交わしたりするようになったけど、ジャッキーさんは遠い存在の まま引退しちゃいましたね。 

 

●憎まれ役になりきれず

 

新人のとき、中途半端なことしてたんですよ、今考えると"全然悪くない悪役レスラー"と言われてた。自分たちでパンフレット売りに行くと「なんておっかない顔してんの」とか、おばさんに言われたんですよ。嫌われるのがイヤだったのかな、あのころは、 やる気もあんまりなくて、試合も"別に負けてもいいや"という感じでやってた。


当時はまだ松本香という本名でリングに上がってて、2年前にダンプ松本になった。そのときですね、ここで変身したほうがいいと 自分なりに思って。
で、いちばん目立ってやろう と、髪の毛を脱色して金髪にしちゃった。
はじめっから悪役に徹してればもっとよかったのに、と今は後悔してるんです。

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ダンプが「外人選手と対戦したくないのでヒールになった」という話がありますが、おっかなかったのはサンディ・パーカーが元々の原因かもしれないですね。

理想の男性は「中村雅俊」というのはよく出てきますが、「太川陽介」も好みだったようです。だいぶ中村雅俊とは毛色が違う感じがしますが・・。

 

 

 

 

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女特有の"陰口"は許せないね!
 

●極悪同盟、恐怖の掟
 

自分が下で、デビル軍団とかブラック軍団にいたときは厳しかった。
イヤな思いばっかりして、先輩たちは私が間違っても面と向かって言わなくて陰で言ってたり、ほかの人とのつき合いもできなかった。
 

今、極悪同盟で自分がいちばん上になったので、下の子たちにそういう思いはさせたくない。女同士ってゴチャゴチャが多いんです。 会社が誰々を上にあげようとしてる、とか焼きもちやいたりね。


極悪同盟だけは、言いたいことをその場で言えるようにして、仲間の悪口は言わさない。その点は厳しくしつけてます。 しかしブル中野とコンドル斎藤は寝坊で忘れものが多くていけない。困っちゃいますよ。 

 

●理想の極悪レスラー像 

 

極悪同盟志願者、けっこういるんです。給料あがりますしね(笑)

 

人数が少ないからうえに行くチャンスも多くて、コンドルも最近、「給料あがった」って喜んでた。 極悪に入った子で困るのはフワフワしちゃうことね。「何々さん」 とファンにコールされるとうれしがっちゃう。そういうとき「うるせい、向こう行ってろ!」と言えないとだめです。少しでもやさしいところを見せちゃうと、ファンはかえってがっかりする。 

 

自分はもう、ファンは一切いらないと宣言してるし、握手もしない、物をもらったら投げ返すという感じでやってます。 

 

●ダンプとラーメンの関係 

 

きのうCM撮ってきたんです。 日清のタコヤキラーメン。テレビは4パターンあって極悪化粧でチェーン持ってるやつとか、素顔で食べてると急に極悪顔になったりとか。


でも湯気が立たなくてもう1回撮り直し、メンが長すぎてもダメとかで何回も何回も食べさせられて、大変だったんです。 

 

ラーメンはよく食べてんですけどね。試合で旅へ行くとどこの旅館もおなじようなメニューだからみんなカップラーメンとかボンカレーとか持ち歩いてるんです。 取材のときはなぜか必ず焼き肉食べてるけど、ふだんはラーメンも多いんです。
 

 

●次は金網デスマッチだぜ!


8月28日、大阪城ホールで長与千種との試合があるんです。髪切りデスマッチ。負けたほうが坊主になるというやつ。
自分としてはまず千種を丸坊主にして、
そうするとどうせまた飛鳥も挑戦してくると思うから次に飛鳥を丸坊主にして、あと自分をフォークで刺した大森ゆかりと金網デスマッチをやりたい。
 

金網デスマッチはまだ女子プロレスではやったことないけど、絶対やって大森をKOする。で、あいつを極悪入りさせてやる。 

 

このまま行くと、いつか誰かが大ケガするなという気もするけど、ここまできたら自分はとことん悪に徹して闘います。 現役のうちから、やめたあとのことを考えてる人もいるけど、自分はもう一試合一試合、燃えつきるだけです!
 

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素顔はとてもチャーミングで明るい。意外にもなごやかな雰囲気 でインタビューは終わりました。 自分からは言わないけど、お金をためて両親に家を建ててあげたなんて感動的なハナシもあるんです。 でも、優しくて、ちょっぴりかわいい素顔を、みなさんは絶対見られません。甘くみて近づいたら、 竹刀攻撃どころか、金網の中に引きずりこまれちゃいますよ!

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ここでも興味深い話があります。

「陰口を言わない」という極悪同盟のルールがあったことは、マンガの「ダンプ・ザ・ヒール」やぶるちゃんねるで話していますので、有名ですね。1985年の時点で話しているのでダンプは徹底していたと思われます。

 

続いて「タコヤキラーメン」のCMの話が出ています。1985年の7月中にCMを撮影したようです。タコヤキラーメンについては他にも詳しい記事があるので、そちらで記載します。

 

また、大森ゆかりと金網デスマッチをやりたいと話しています。これは知りませんでしたが、フォーク突き刺し事件からの延長でしょうか、まさかの「金網」です。最終的には実現しませんでしたが、もし大森と「極悪入り」を賭けた金網デスマッチをやっていたら、相当に面白かったでしょう。大森が1985年末からケガをしてしまったために、この計画は頓挫したと思われますが、日本初の女子プロレスラーの金網マッチも、ダンプと大森の試合で実現してほしかったですね。

 

最後に写真を拡大してみます。

ダンプが幼少期の写真を「週刊明星」のために特別に公開したようです。この時期では珍しいです。