1985/5/25 斉藤真知子が極悪入り その① | 時系列でみる! 極悪同盟 ダンプ松本 ファンブログ

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極悪同盟(特にダンプ松本さん)のプロレスを時系列で整理します。思い入れのある雑誌処分のためブログに残して廃棄します。「テーマ別」で時系列で閲覧することができます。妄想で書くこともしばしばですが1年(+α)かけてやる予定です

1985/5/25の試合から斉藤真知子が極悪同盟入りします。

まだリングネームは「斉藤真知子」のままで、6月中に「コンドル斉藤」に変更となったようです。

 

以下、デラックスプロレス1985/8月号に「5/25より斉藤真知子が加盟」と記載されています。

 

ダンプ、ブル、コンドルの極悪黄金期の主要メンバー3人がいよいよ揃います。

クレーンが抜けたことで一時的に戦力ダウンとなった極悪同盟でしたが、ここから始まるブルの急成長と、斉藤の加入により、徐々にダンプ帝国の完成に近づいていきます。


 

★ファイトスペシャルより

 

 

 

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正式に極悪同盟加入が決まり、本名の斉 藤真知子から改名したコンドル斉藤。彼女は女子マットでは数少ないチャキチャキの浪花っ子だ。(守口市出身)
そんな斉藤のルーツを知ろうと、本誌スタッフは守口市内にある斉藤の実家を直撃。お父さんの圭祥さん、お母さんの初美さんにお話を聞いてきた。
「親の口からいうのもなんですが、 小さいときから責任感と正義感の強い子でした」 とご両親。
それに、いちど言いだしたら絶対にあきらめない性格なんですよ。お父さんにしかられても、自分が悪くないと思ったら"真知子、まちがってない!"と主張できる子 でした。だから、女子プロ入りを決めたと きも、私たちは何も知らなかったからビッ クリしたんですが、手をついて"どうか、 私の思うとおりにさせてください"ってい う真知子を見て、ああこれは本気だな、と思ったんです」とお母さん。
 

最初は絶対反対だったお父さんも「女子プロの世界に入って鍛えられた方が、真知子の性格に合っている」と"お許し"を出 した。
入門するにあたって、少しも悪くない盲腸を手術していったんです。デビューしてから盲腸炎になると、みんなから遅れてしまうから、と言いましてね」と、お父さんもわが娘の気力には脱帽というところ。
 

「コンドルというリングネームに変えたらしいですね。悪役らしくて、いいじゃな いですか。どうせ悪役になるのなら、その道に徹してほしいと思います。ダンプさん のように悪に徹し、リングを降りれば後輩の面倒見がいい、そんな選手になってほしいですね」
極悪の一員・コンドル斉藤としての大成 を願うご両親のためにもマチコよ翔べ!!

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★女子プロレス物語より

 

 

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真知子が入り極悪の陣営強化

 

「先生、真知子が極悪に入っちゃったんです よ」。私が、この話を聞いたのは永堀からだった。さすがに永堀はうつむいて、さみしそうだ った。10人入った同期が斎藤真知子以外すべて辞め、互いに励ましあって頑張ってきた親友の極悪入りだけに無理もなかった。
 

だが、真知子の極悪入りにはビックリしたが、 予測できないことではなかった。永堀とともに私の家に預けられていた時から、真知子は極悪にあこがれ、ダンプを尊敬していた。
「ダンプさんはとってもきっぷがいいから若い選手に人気があるんですよ」とことあるごとに話していた。フロントがクラッシュに続く空手殺法の使い手ペアの構想をもっていることを、 真知子は知っていた。それゆえに本人は悩み続 けていたようだ。


「一恵 (永堀)はベビーフェースと決めているようだけど、私はヒールが合っているのかも」 と、真知子は何事も好き勝手にできる極悪同盟に共鳴するものがあったのだ。
 

極悪入りの決心は永堀にも知らせなかったそうで「気がついたら真知子が極悪にいた」と永堀。真知子はまず中野のところに極悪入りの意思を伝え、中野に伴われてダンプに許可を願い出ての極悪入りだった。
 

入門して丸二年、女子プロ入りに当たって「悪玉になんかなったら家に連れ戻すぞ!」と父親にクギを刺されていたが、同期の永堀とのライバル心が父の反対を押し切るプロ魂を植えつけるまでに成長していたのである。
 

ダンプとの大流血戦で引退に追いやられたユウの抜けた穴に、中野をNO.2のポストへ引き上げた極悪同盟は、新たに斎藤真知子を加えた ことで陣容を強化、5月16日から開幕するジャパン・グランプリ後半戦に新たな極悪暴走の策 謀を企てたのである。
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斉藤は絵才がありました。

絵才といっても女子高生がノートの端に落書きで似顔絵を描くというレベルではなく、ある程度のアートワークができるレベルでした。

新人の頃にその才能をダンプが見いだされたのか、2/25のWWWAタッグ選手権からダンプの足や顔に妖怪の絵を描いたりしていたようです。

 

こうしてダンプと接していた斉藤は、「ダンプさんはとってもきっぷがいいから若い選手に人気があるんですよ」と話しています。ダンプは後輩をイジメなかったと言われていますから、公平な目で斉藤を見ていたのだと思います。

(とはいえ、極悪に入った後は、プロとしてのダンプの厳しい指導で、斉藤は何度も挫折してしまうわけですが・・)

また、ブルを通してダンプに入門を請うたようです。直接ダンプに話すのはやはり敷居が高かったのか。伸び悩みをしているところをブルに拾われ、存在感抜群のNo.3となっていきます。

 

ブルが極悪に入門したころは何をしたらよいか分からず、ダンプに殴られていたようですが、斉藤も同様、いやそれ以上の苦労だったようです。視力が悪くてダンプの合図が理解できなかったり、細身のためパワータイプの攻撃が不得意だったりと、極悪同盟の中でも苦労したようです。その後に入門してくる体格の良い新人たち(坂本、仲前、石黒、岩本など)に追い越されるのでは・・と常に壁にぶつかっていた感じがします。

 

また、入門時から同期の永堀とともに、山崎照朝生から空手を習っていました。永堀と斉藤で第二のクラッシュを目指していたようです。永堀は突然斉藤が極悪入りしたので、ビックリというか、怒ったようですね。上記の本でも「裏切られた!!」みたいなことが書かれています(どこまで本当かは分かりませんが)。