木下黄太さんのブログより。



「放射能ネタは通らない」メディア人常識。


http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927


 東京の大手週刊誌記者、たまたまベテラン&中堅の2人と、電話で話したのですが、これはテレビ記者でも週刊誌記者でも何人と話しても、大概、おんなじ話になりますが、原発の話や被曝に関しての話は、ほんとにネタがとおらないのが当たり前になっていて、実は、その当たり前が、なんで当たり前なのかはわからないまま、当たり前になっているそうです。


「やっぱり広告がらみなんですかんねえ。東電の広告が何もかも止まっているのをどこかで何とかしたいという事でしょうかね。」


そういう推測も言われますが、よく分かりません。とにかく、被曝の懸念、放射能のことは語らない風潮が強い。マスコミの内部で。原発に反対を鮮明にしているメディア、東京新聞などの売れ行きの反応がよいことがあっても、そこには見ざる言わざる聞かざるということです。原発ネタにハードルがあり、それならまだしもそこから先の話は、通らないことしか前提がないそうです。それが常識となっている。


まして、被曝や健康被害の観点になると、言うのも憚られる状態だと聞いています。


「あっ、無理ですよ。たぶん。」


「通らないとおもいます。会議には出しますけど。」


 こういう言い方が圧倒的に多くて、僕の3.11以前の感覚なら、ふつうに取材するようなレベルの中身が取材されないことしかありません。そして次のような話もききます。


「なんで自分がこうなのかは、よく分からないし、3.11前からその傾向はあったのですが、自分が関わっている雑誌も関心が無くてほとんど読んでません。原発の関連だけでなく、一般的な話題も、何か書くべきことをかけていない気がして、読みたくないんですよ。」とも言われます。


 こういう自分の関わっている雑誌を読まない、番組もみないというマスコミ人は、昔からいましたけど、それが度を超しているなあという話です。僕が話すマスコミ人、マスコミ人、おんなじような答えばかり返ってきます。


 僕には、この現在皮膚感覚が、中にいないので、今ひとつわかりませんが、何かこれまでよりも、歯車がずれているような感じがしています。とくに週刊誌のように、得があるなら、なんでも載せるような媒体まで、この感覚だと、新聞・テレビは推して知るべしと思います。


 「木下さんが言うように、何でかわからないけど、2年前からいろんなことがおかしくなっている。週刊誌なんてもともと衰退していくメディアなんだけれども、それまではやることに意味があるものも、少しは存在していた。しかし、この2年間ほんとに酷いんです。原発のネタの話ばかりでない。なんというか、官僚主義的というか、大本営的なものしか受け入れられなくなっている現実がある。事実を掘り起こしてなにかしようなんてありえない。自分が歳をとったから、時代の流れに取り残されていると言ったらそれまでだけど、本音では、ぼけが何を訳の分からないことばかりやっているのかという感じです。徐々に売れなくなって苦しくなってくるのは、昔からそうなると思っていたけど、実は内容の劣化が想定どころでない感じがする。ここにいても、次が何にもないんですよ」とも言われます。


 首都圏に依存している状態が、特に雑誌メディアでは圧倒的ですし、自分たちの人生そのものが、東京という世界観の中で展開しているのが、マスコミ人の現実だと僕は思います。この依存を止めたくないという意識の反映は強いです。こうしたことが、雑誌媒体には、更に強固に働けば、どんどんおかしなことになります。


 これは、不思議な状態ですが、本来何かを切り開く所作は、先陣で雑誌メディアあたりがおこなうのが普通なのです。そうなっていれば、僕のブログの存在価値も、実はかなり減っていたと思います。逆に、こうした意味不明な劣化がずっと続いていて、結果としての大本営発表が続くだけのシステムと成り下がっているのが、雑誌も含めた今のマスメディアの状況です。


おそらく僕のブログを読む人が、2年後の今も数多くいるという裏事情は、この辺の状況が反映したからかもしれません。それはとても悲しいことです。だから、僕はやらねばなりませんが。


貴女はどうしますか。