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横から見た地図

 銀座のマップを作ろうと思った。6年ほど前のことである。
 それも鳥瞰図のような地図ではなく、ひとつづつのビルや建物を歩行者の視線で見ることのでできる地図。つまり、横から眺めた地図である。
 日曜日の午前中、まだ人通りの少ない時間にカメラマンと共に、銀座1丁目から、通りの景観を1枚ずつ、写真に収めていった。なるべく舗道からビルの最上階までを1コマにおさめたいので、通りの反対側に位置しながら撮影していくのだが、小さなビルなら1枚で入るが、デパートなどは6枚ほどに分けて撮っていかなければならない。こうして8丁目までたどり着くと、今度は1丁目まで戻って来る。ろくなデジカメしかない時代だったので、35mmのアナログカメラで撮った。この往復で5時間、フィルム本数は40本を超えていた。これを1枚ごとスキャンし、photoshopで1丁目から8丁目までをつないでいく。ゆがみの補正、色味の調整と手間がかかったが、ともかく、通りの東側と西側との2枚の超・横長の写真ができた。
 これを鳥瞰図のマップとリンクさせる。さらに、ビルの窓をクリックすると、その中のshopの紹介ができるようにしようというのが目標である。
 こうしてプロトタイプができたら、実用新案や特許を取得し、スポンサーを探す。裏通りの撮影や、角を曲がったときの処理ができるスクリプトを書ける専門家、ショップ情報を充実させるライターなどを雇って「ぶらナビ・マップ銀座」というロムにしようという企みだった。銀座で成功したら、新宿や渋谷、あるいはパリのシャンゼリゼーやNYの5番街と、後追いコンテンツには事欠かない。川崎・堀之内のマップもできそうだ。クリックすると、そこにお勤めの方々の写真とプロフィールを見ることのできるなら「裏企画」として人気を博すだろう…と。
 結論から言えば、頓挫した。
 スポンサーがすぐに見つからなっかったのも大きな理由だが、相談をしたある人が「この仕組み自体をアメリカ国防省に売り込みに行くべだ。アメリカは敵国について俯瞰情報しかなく、横からの情報という視点はない。しかし、空爆をするときには、目的の人物が3階にいるのと8階にいるのでは爆弾の量が違うわけだから、効率的な戦争にはこうした画像データベースが不可欠だ。さらには、地上戦のシミュレーションにも有効なコンテンツだし」と言うではないか。
 観光やグルメガイド、あるいは淑女図鑑のような卑近なことしか考えていなかった自分が、なんだかひどく低俗に思えてきて、ひと旗あげようというモチベーションがあっけなく消え去ってしまったからである。
 いま、そのときの写真は1/12に縮寸され、さらに半分ちょんぎられて、横回転させられて、このブログに添えられる形で日の目を見た。

師の日、という個人的提案

 10月16日、ボスの日。アメリカで50年ほど前、会社経営者のお嬢さんが父親へのねぎらいのために提唱した記念日で、ボスへささやかなプレゼントを贈ったり、ランチをごちそうする慣わしとか。ボスからの返礼として、4月の第4週にセクレタリーウイークというのも設定されている。本国で、どのくらい盛り上がるのかは知らないが、日本では、普及度・浸透度はもうひとつといったところのようだ。
 クリスマスやバレンタイン、あるいは江戸時代から続く丑の日なども、こうした記念日の代表格だが、それに伴う活発な消費活動を羨み、多くの企業や業界団体が、豆腐の日、映画の日、めがねの日など…独自の記念日を設けている。が、まあ、思惑に反して、その会社や団体の創立記念日みたいな「内輪の記念日」程度の広がりしか見せていないのが実状のようである。ちなみに、きょう9月28日は「パソコン記念日」だそうで、PC-8000の発売日に起因するということなのだが、MACユーザーの身には、あ、そう、以上の感慨はない。
 羽衣国際大学というところに、一見、女子アナとみまごうような、大学の先生らしからぬ風情の若い先生がいて、この木村純子氏の「構築主義の消費論=クリスマス消費を通したプロセス分析」(千倉書房)という本によると、こうした記念日は、起源という原型を残しながらも、時間的な経過によって新しい消費スタイルを形成していくものだそうである。
http://www.chikura.co.jp/book/0802.htm
 で、個人的な提案は「師の日」。
 といっても、学校の先生にはさしたることも習わなかったし、彼らは、すでにその報酬を得ている。しかし、たとえば、酒の道の悪しき手本を示してくれた先輩や、Illustratorのcomnand+Fというショートカットを教えてくれた部下の女性や、経理部の厳しいチェックをかいくぐらせる接待交際費伝票の書き方を伝授してくれた同僚、雑誌PINKYの専属モデルがSEVENTEENのOBであることを説明してくれた娘…、など、ちょっと考えただけでも数十人の「師」がいる。
 缶ビール1本くらいの謝意を示したい、と思う。  いきなり缶ビールを送りつけるのも無粋なものだし、できればサントリーあたりに、全国紙15段で、10人ぐらいの有名人のショートエッセイをつけた宣言・告知をしていただくと、スムーズな人間関係が築けそうな気がするのだが…。いかがですか?

はばたいてこそ、企画

 たとえば、「world-thater.com」とようなweb siteで、世界中の劇場の演目を1幕1000円程度で、リアルタイムに見ることができたら…。
 日本時間の24時からパリのオペラ座で「椿姫」の第1幕を見て、25時からサントペテロブルグのマリンスキーで「コッペリア」を見る。あしたの早朝は、NYでミュージカルを楽しみ、夜は、ミラノのスカラ座でのマリア・グレギーナのアリアを聴く。
 カメラは、テレビのようにアップやパンをしてくれるわけでもなく、舞台全体を静止アングルで写し、音声を流しているだけだし、映画のように字幕が入るわけでもない。でも、いま、まさに地球の裏側でやっているものを見ているというリアル感にゾクゾクする。日本の中で、ひとりの人間が戦慄しているときに、アメリカでも、ヨーロッパでも、アフリカでも、南米でも、彼ら自身のモニターの前で、同じ演目に拍手している…。オーストラリアで日本の能を見ている人もいれば、ウズベキスタンで歌舞伎を初体験している人もいる…。
 
 これは単なる思いつきである。ひとりの消費者として、こんな有料サイトがあれば、1か月に優に数万円は使ってしまうだろう、というだけの話である。
 いわば「ひな」のようなものである。あるいは卵かもしれない。
 ここから育んで、成鳥になって初めて「企画案」になる。

 自分の後ろに、同じような感覚をもった人間が何人、いるか。
 500人か、5万人か。日本だけでなく、ワールドワイドに見た場合は、何人いるか。5万人か、500万人か。テレビのオペラの視聴率やマーケティング調査をしながら、おおよその市場の規模をつかまなければならないだろうし、各劇場の支配人にメールで、場合によっては現地に赴いて、劇場にとっても出演者にとってもプラスになるような利益配分の計画を伝えて、意向を確認しなければならない。数軒以上の確約は欲しい。カメラの取り付けやメンテナンス、課金などのシステムについてもおおよその設計プランは必要であろう。
 こうしたことが、ほぼメドがついて、ようやく「企画案」という段階にたどりつくわけである。

 こんな話をブログなどで書いてしまっていいのか、とお思いの人がいるかもしれないので申し上げるが、少なくとも日本の企業でこの話を受け入れてサポートしてくれる会社はあと数十年は出てこない、と確信している。電通も三井物産もトヨタもSONYも楽天も、「確実に収益を出せる事業」にしか関心は示さない。シアトルのMICROSOFTでも無理だろう、あるとすれば、Bill Gates個人が道楽でやってみよう、というぐらいかな。

人間の頭脳と、鴨の肝臓

「5社の方に、企画を出していただいて、この仕事をやっていただく会社を決定します」というオファー。まあ、珍しくも何ともない。よくあるパターンである。
 しかし、フレンチレストランで「とりあえず、フォアグラを。5軒回って、いちばん満足した店を選んで、その後、客として来ます」などと言おうものなら、まあ、襟首をつままれて追い出されるのがオチだ。
 企画は会社案内でも名刺でもない。そのプロジェクトにふさわしかろうものを、と知識や経験、人脈などを駆使して設計していくもので、いわば、その人間の頭脳の結集である。しかし、扱われ方は、実は、鴨の肝臓以下である。その企画がプレゼンテーションで撥ねられたときはもちろん、その企画が5社の中で選ばれたときでさえ、その企画そのものへの対価は、まず発生しない。まだ、設計段階で、形ある労働をしていない、とみなされているからである。会社案内や名刺と同様、単なるパンフレット、あるいはサンプル品という位置づけなのである。
 鴨ならよかったのに。
 プレゼンが終わった日は、出がらしになったアタマを傾げて、東京の空を見上げても、鴨の姿などなく、せいぜいどんよりとした霞が目に入るばかりだ。