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女性が元気にっなってここから変えていこう。コクリエイター

女性の時代。地方の時代。本当に大切なことはなに?
日本にはまだまだいいところがあるよ。

子育てや地方での生活を言葉と自身で編集した画像で話していきます。

修業するって言うことはどういうことなんでしょうか。
対話してみました。




質問:



日本人はよく「修行中」ということばをつかう。

生きることにたいして、仕事にたいして・・・・・・。

ベテランの職人さんも「まだ修業の身です。」と言う。


なぜ、こんなに修行という言葉が日本人に好まれているのだろうか。

仏教の影響だろうか。



答え:


修行。。。。難しいですね。何でしょうね、修行って。

行を修めるということですよね。文字を手がかりに考えます。


行、ってもとの意味というか、仏教ではサンカーラって言うらしいです。

意味は「(何かを)したい」という思い、欲求、「したい」というエネルギーのことをらしいです。命の性質のひとつらしいです。
サンカーラがあるから物事が進化し展開もし、落ち込みもしハッピーにもなれる。変化すること、イコール、「行」かもしれないですね。


「したい」を修めるってどういうことでしょうか。

「修」は学ぶということですよね。

学んで自分のものにする、ってことでしょう。

自分のものにするということは、使えるし、止められるし、捨てられるし、はじめられる、と、そのことに執着のない関係をつくることではないかと思います。

かなり独自解釈してますが。


以上のように考えると、修行とは「したい」から自由になる。ということになりますね。

修行の完成とは「「したい」から完全に自由になっている状態」ともいえる。

やってもいいし、やらなくてもいい。


料理人でも炭焼き職人でも足袋屋さんでもなんでもかんでも、その道に入った人は、その道に入るに際して、強弱のさはあるにせよ「したい」というエネルギーがあってその道にいるのでしょうと考えます。

「何かをしたくてしている人は、誰でも修行中」ですね。

「まだまだ修行中です」ということは、「まだまだ自由じゃありません。まだまだしたいです。」ということで「修行を終わりました」ということは「もう自由です。しているもしていないも同じことです」ということでしょうか。


「修行が足りない」っていいます。

「したい」にまだまだ捉われていると、修行が足りないのではないでしょうか。


まとめますと、修行の道に入るとは「「したい」をする」。

したいことをしているうちはどうしたって修行中にならざるを得ない。

「「したい」から自由になったときが修行の完了」


「人生は修行」ってつまり、生きているということはそもそも「行」だから、意識しようがしまいが、「したい」にかられているのだけど、「修行」っていうことで「その「したい」にわたしは気がついていますよ」ということを宣言しているのではないでしょうかしら。



「わたしは意識的に生きています」という宣言ではないでしょうか。



「生きていきたいと、私が思っていることに、私は気がついています。生きることから自由になることを目指しています」といっていることと同じ意味じゃないですかね。



以上、ものすごく独自解釈です。

こんな考え方、どう思います?








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