【前回の写真の答えです】
広島県:葦嶽山
秋田県:黒又山
奈良県:三輪山
先入観なしに見て頂いたのは、三輪山だけ指摘する人がほとんどいないからです。私の直感では下にピラミッドが有るか、山をそのまま使った古代の祭祀場だと思うんですよね。
理由は以下を見てください。
これは、技術者の再現アートです。つまり火山灰とかがかかっていればこの様な形になるという事でしょう。
画像:national_archaeology様
黒又山は
既に調査済みなので必ず石積みの階段状のピラミッドが現れる事でしょう。
しかし葦嶽山については
登れますが、壊したりとか本当扱いが酷いものですよね。太陽石があります。言うまでもなくピラミッドでしょう。
そして三輪山です。私は坊さんでも、神主でもなんでもないから利害がないから言いたい事を言っちゃいますが、情報を隠しすぎです。見た事は言ってはいけないとの事ですが、聞いた事は言っちゃいけなとは言われてませんので言っちゃいますね(^_-)-☆真摯に古代の事を知りたい人に対して見させないというつもりでしょうか?違うのならマナー(ごみを捨てないとか)を守ったら別にフラッシュなしの撮影とか別に良いと思いますよ。何が不遜なんですか?縄文の祭祀なんて皆で輪になってやっていたらしいけど?ご神体を見ている縄文人は皆様全員不遜なの?
その上には割れた太陽石があるそうです。(●されたって話も聞いたわよ。黒又山は政府に割られたよね?こちらのは誰が?)でも三輪山って、上から見ると瓢箪型なんだよと教えて貰いましたが、確かに上から見るとね・・・
こうなっています。
では瓢箪型古墳とか?思いましたが、もっと古い時代の物だろうしこちらの方が真相に近いのではと思ったんです。それは何だと思います?私はこれだと思います。
写真:エアトリップさんより引用
以下は巻向遺跡の記述です。客観性を示すために引用します。
BODHI SVABA様より文章画像とも引用→こちら
纒向遺跡は、初期ヤマト王権発祥の地として、あるいは邪馬台国(3世紀ごろ)の東の候補地として全国的にも著名な遺跡であり、遺跡の範囲は古代からの信仰の山、三輪山を背にして、このあたりの山麗から西方を望む地域一帯に広がっています。
この遺跡は、広大な面積を有することや、九州から関東にいたるまでのさまざまな地域の土器が全体の15%前後も出土していること箸墓古墳を代表として纒向石塚古墳、ホケノ山古墳など6墓の発生期の前方後円墳が集中して築かれていること、農耕具がほとんど出土せず土木工事用の工具が圧倒的に多いことなど他の一般的な集落とは異なる特徴を多くもっています。
また、附近には、景行天皇の纒向日代宮跡や垂仁天皇の纒向珠城宮跡の伝承地もあり、
このことから纒向遺跡は、わが国最初の『都市』、あるいは初期ヤマト政権の『都宮』とも目されています。纒向遺跡が栄えていたころの古代の都市を再現し、イメージ図にしてみました。
中京都新聞様より引用
山の高さを見て下さい。順に小さくなっています。
ちなみにこの三つの山の共通点は北緯34度東経135度です。
つまり太陽道になりますので、どの山も縄文時代なら祭場であったと思うのです。なのでその後に神社トッピングをしたのではないか?と考えましたらビンゴでした。