前回は→その②

 

引き続き古代言語学者:川島氏の記述参照

【縄文土器に書かれた文字の内容】

昭和53年春:藤井寺で出土(東大阪)

土器にはヘラで書かれたと思われる馬の略図と共に明らかに文字が書かれていた。

【形式:文字の連続による絵画化について】

古代インドや中国仰詔・半坡期の芸術家、更に日本の縄文期の福井県の陶工達が好んで用いていた文字の連続させて絵画化するという手法が見られた。

まあ、現代で言うところのこんな感じの表現方法とかと一緒ではないだろうか?と思いました。

藤井寺で出土した土器に書かれていたのは上記の馬の略図と共に修羅(梯子状の

木組み)の様な形をしたものを牽引しているとう図案になっていた。ネット上などには資料資料が無いようなので、タカチホが以下に図解を描いて見たのでご覧下さいませ。

黒い線が実際に書かれていた線の組み合わせです。向かって左は文字を一つ一つばらしているために分かりにくいですが、密集させると馬の様な形に見える様に描かれています。向かって右は棒を五本と三本引いていて、数を表してるのだろうとの事です。

この馬になっている部分の一つ一つの文字を見て読んでいくとシナイ文字で【ガシャン】と読めるそうです。バールにも繋がっている神です。鳥の神という事になります。

五・三 という文字については最初に五を書き三を書いている。すなわちゴ、サンであり。という事は鳳凰神ガシャン、水窪石碑のスペルではガァサンとも表現。

この【音符としての役割を五三=ゴサン】が果たしているそうだ。つまり数字を使ってガシャン神に日本式の音符をふっているという事。

 

となると、【五三の桐】は、即、鳳凰神の「桐」という事に成ると考えられるそうで、中国では「桐」というのは比翼の連理、翼の有る神、鳳凰が舞い降りて休む木を、木へんに「同」で「桐」と呼んだ。

※だから花札の桐の二十の札は鳳凰と桐で有る

~参照解説以上~

 

●で・・・・ところで私の家の家紋何と【五三の桐】であるのですが、それも神様の悪戯でしょうか・・・?

読み解くための共時性・シンクロニティを私は偶然ではないと思っていますが。

●あと一つ気が付いたのは、この土器は昭和53年。そう53の年に発見されているという事。53(ガシャン)の自己主張だったりしてWと私なら面白く考えますね。

 

そして、私はここまで書いていて、とある事を思い出したのです・・・。

それは、比翼の鳥ってそもそも山海経典に描かれているものです。そう天照に比定される東の果てに住む十個の太陽を操る巫女の話。

天照・・・・天照・・・・・

以下の記事を読むと「富士王朝」「連理の枝」「比翼の鳥」というキーワード全てが結びつく

扶桑木は「連理の枝」富士山にはやっぱり有りました

 そう神社に有る鳥居はそもそも天照がいますよって印。鳥が居る場所・・・・

つまりそれって・・・・鳳凰・・・ガシャンではって思うんですよね。

鳳凰は太陽も司りますからね。火の神。日の神。

 

 私はなんだか一人で胸熱になってしまってジーンと何故かしてしまいましたが、皆様の心にはどう響いたでしょうか?

 

私個人は確信しているし間違いないと思います。

「古代の日本には文字があり、それはペトログラフの部分を占めている」と

※ペトログラフは神社受け継ぎ分が有るのでそれは個人の歴史書なので取り除いて考えます

そして

「何より縄文土器に書かれている。ものこそがペトログラフではないか

という事なのですよ。