皆様は不思議に思いませんか?そう、ここ日本には沢山の紀元前の遺跡や、文字が有るのが現実なのです。後述しますが縄文土器にも中東の文化から来たと思われる文字が書かれているのです。何故見ないふりをするのか?研究が進んでいないと思われているのか?(実際にはちゃんと研究されています。それを目立たないようにされているだけです)答えは

【古代には文字が無かった】

と刷り込んだ者達が居たのです。具体的に何がどうなっているのか?誰もネット上では書いていないと思います。なので誰も知らないのです。

参考文献:古代言語学者 川島 真治氏

 この本を読んで圧倒的に良かったのは、

●どうして古代文字が普通に有るにも関わらず宇宙の文字とか勝手に話を変えたりして一生懸命ミスリードしているのかな?

●どうしてもっと一生懸命ペトログラフに書かれている内容を調査しようとしないのか?

~以上~

 

 といういつも謎に思っていた問題に具体的な答えを与えてくれるものだったからです。皆様ネットを見ていてどうですか?謎・謎・謎って言うだけで大抵都市伝説みたいにぼやかし結論を出せずに終わりです。

恐らくネットは真相を書いたら削除されていたと思います。しかし、本というのは人が持っている限り文字が読める性質が有るのです。消せない川島氏の意思を私が43年という長い時を経て受け止めた事になります。初版が1980年というそれは絶版の古い本です。

しかし、逆を言うとそこまで分かっていたのにも関わらずこの情報を眠らせていたという事にもなります。

 さて、いよいよ本題に入ります。彼は

「漢字以前の文字が、我国の弥生時代に、いや、弥生時代よりもっと古い後期に有ったと提言すると、多くの人は、それを信じないと思う」

と言っています。その理由を彼は書いていて

●斎部 広成の「古語拾遺」とか、嵯峨天皇勅撰の「新撰姓氏禄」序文などに

「本邦の太古に文字はなかった」と有る記述を鵜呑みにした国語学者たちから、漢字が輸入される以前、日本には文字というものが無かったと教え込まれていた。

●また、いわゆる「神代文字」という文字が太古にあった主張する民間の研究者たちの声も、アカデミーの側からかき消されてい来た、という歴史もある。

●神社が後の世に作った神代文字と共通部分も有るからか(あるいは類似)混同されている節が有る。ハングルから作られた。後程詳細を書きますが神社の都合により作られた文字

※のちの世に作られたものなので、私や読者が思う古代の盤座に書かれているような物とは違うと思うので今回はこれは深堀しません。

 

【どんな人物か見て見よう】

 例のごとく私は天皇家の家来(地下家)じゃないかな?と思いましたが(笑)全くもって大当たりですね。

斎部 広成(いんべ の ひろなり)

平安時代初期の貴族。姓は忌部宿禰のち斎部宿禰。官位は従四位下・神祇大副。君桓武天皇→平城天皇

 さらに広成は、大同2年(807年)平城天皇の朝儀に関する召問に応えて『古語拾遺』を著すことで、斎部氏の職掌の正当性を由縁と根源を主張し、世間に知らしめた。この時に広成は81歳とも伝わる。広成はこの功績もあり、翌大同3年(808年)従五位下に叙せられた。

※召問:貴人が呼び寄せて事情などをききただす

嵯峨天皇:いうまでもなく何代目かの天皇

勅撰の「新撰姓氏禄」序文などに

「本邦の太古に文字はなかった」と書いた。

~以上~

 

 大変失礼だけど、時代って今何時ですか(笑)?平安時代の古ぼけた話を未だに引きずっているのが私はちゃんちゃらおかしいのですが、多分ですが考古学者の方々って気が付いていても言えないんじゃないかな?と思います。私が以下の様に、縄文の文字だと気が付いたのですから専門家で有れば分かっているはずです。でもネットで探せないから(多分それも意図的だろうね)私が書いたんです。

※これを見ると太陽を表す象形文字が多く使われているのが分かるかと思います。

 

文字はもっと他に有るとは思いますが、太陽の動き・状態を表す文字が多いのかなと縄文遺跡を見て気がついた事です。

 

 

太陽軌道を図面に落とすと【日水弧】と描かれます。ひみこ。

これって偶然でしょうかね?

 

 歴史ってどう考えても、時代と共に建物を立てたら遺跡なんかが新たに出てきて常識って変わるんですか、未だにこういう傾向を引きずっているから、アカデミーたちが新しい考えもつ考古学者の言う事なんて無かった事にしているんでしょ。まあでもアカデミーとか実際調べるとそうそうたるメンツでは有るんで【彼らが言った事が全て正しい】とされてしまう土壌にもなっているんだろうなと思います。

 

アカデミーとは?:学問」「芸術」に関して長けており指導を行う団体や、権威のあるグループなことを指しています。権威の有りそうな日本の具体的団体を調べていくと以下の様な物が見当たりました。

 

ウィペディアより引用参照

日本学術会議(にほんがくじゅつかいぎ、英: Science Council of Japan 略称: SCJ)は、日本の国立アカデミーで、内閣府の特別の機関の一つ。日本の科学者の内外の対する代表機関であり、科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させることを目的とする(日本学術会議法第2条)。国単位で加盟する国際学術機関の組織構成員(NMO - National Member Organization)でもあり、それらの国際分担金も担う。

一方で国際学術会議など40を超える国際学術団体に日本を代表して加盟しており各団体の国際分担金も日本学術会議予算で賄われている。国際科学会議 (ICSU)(現在の国際学術会議)では14万ドルを支出し世界3位の地位を占め、日本から吉川弘之会長、黒田玲子副会長を輩出した。また、日本学術会議はアジア学術会議をリードし、事務局、事務局長を担っている。

吉川弘之東京大学卒業後、三菱造船に就職、理化学研究所を経て、東大に戻る

 

【彼の一言がかなり影響を与えているなと思われた事例】

東海村JCO臨界事故をうけ、1999年12月24日に提出された原子力安全委員会事故調査委員会の最終報告書において、委員長所感として「定められた作業基準を逸脱した条件で作業者が作業を行った結果、生起したものである。従って直接の原因は全て作業者の行為にあり、責められるべきは作業者の逸脱行為である。」とし、組織責任ではなく、死亡した作業員個人の責任との認識を示した。

~以上~

 

 メンバーになれるような人というのは確かに頭も良さそうだし実力も有るのでしょう。その事が出世を促している部分も有り、日本で一番権力のあるグループに行くようになっているのでしょうね。そんな実力が有るだろう彼らに【文字が無い】なんて言われた日には市井の庶民や、人脈の無い無名な学者であれば発言は簡単に無視されると思いますね。それが日本の構造って事ですね。

 

 でも私は、誰が悪いとかというの無しに(そんな事で責め合っていても話が終わらないと思いますから)

【今こそ本当の歴史を書き直して欲しい】って思うのです。皆様はどう思われますか?

 

次回は、【神社の作られた神代文字について】です。

 

 

続きは→その①