埋め戻してなかったことにするか?壊すか?あるいはとてもパワーの有る場所なら神社をトッピングさせて自分らが使用してきただろう事が各々の歴史から調べると分かってきますが、じゃあ一体元来の祭祀ってどんなものが行われてきたのか?

 

研究者などが出している内容を出します。縄文の祭祀についての記述より→こちら

縄文時代から続く日本の「祭り」の語源と目的

縄文時代に始まったとされる「祭り」には、自然災害や病気、悪霊などを避け、神や精霊を祀る意図と、男女が交わるといった意味も含まれています。

旧石器時代から縄文時代となった当初は、30人程度の集団で生活し、その集団内での祭りは、歩行の延長上に生まれた踊りからトランス状態となった男女が交わったと考えられ、その過程で、精霊への祈りも捧げられています。

つまり、縄文時代に生まれた「祭り」には、超越的な存在である神や精霊をもてなし、願い事をするという意味があり、現代の神社や仏閣で行われる祭りに継承され、イベント的な「祭り」が付加されています。

 

縄文時代の時期で変化した「祭り」の形態

縄文時代の前期には、30人程度の単一集団内で飢えの恐怖と戦いながら狩猟と採集生活を継続しながらも、精神的な解放と将来への可能性を見出す収束場所として「祭り」が行われ、次の世代へと引き継がれています。

縄文土器の発明や採集生活により、食糧の確保が改善されるようになると、精霊への祈りを強化した土偶を使った祭祀がはじまります。

 縄文時代の中期になると温暖化が進み、それまでの針葉樹林から広葉樹林へと変わり、食料確保と共に人口が増加し、前期の単一だった集団の規模が拡大すると共に分化しています。

次第に、集団同士の縄張りの確保や植物の生産における協働、出産可能な女性を移籍させるなど、集団同士間の交流と共に男女が交わることで、集団の結束力を維持しています。 その際、非日常的な「祭り」が行われていて、細長い石を横に放射状に並べ、その中央に直立する細長い石を置いたストーンサークルと呼ばれる祭り場は、男女の性器の結合が表されています。

~以上~

 

現代人には信じられない行動体系ですが、実はこのころの方が戦争にならず済んでいるという事実が有ります。そして穏やかな交流が営まれていたとも言われている事は興味ある方は御存じな事でしょう。

 

つまり人間のライフスタイルって実はほっておくとこうなるんじゃないかな?島の現代風に開発されていない原住民とかも大体こんな感じになっていますよね?人は人を所有できないのが本当なんじゃないかな?実際今のスタイルになってから親戚関係や夫婦間のトラブル多いよね?異性としてみる事さえもしないのにただいるだけの意味なし夫婦とか。

子供は誰の子供とか関係なしに皆から子孫として大切にされたからそもそも虐待も起こりようもないし、あったとしても親切な人が代わりに育てただろうし。

 

 

それと考えて見て欲しいのですが、庶民にはやたらめったら不埒だのなんだの言ってこういうライフスタイル禁止するかのように法律も手伝っていますが、上の人達てどうなんでしょう?人によりますが酒池肉林自分達は好き放題なんて話を聞きますよね?そしてそういう連中が実際には繁栄している事実を感じて欲しいです。

 

私も実際に試すわけにもいかないので(笑)証明は出来ませんが、これらの行為に繁殖・欲望以外の意味が絶対有る筈です。そしてそれが隠されているから九頭竜も封印されているんだと思いますよ。

 

戸隠し神社とは戸を開けた神社でなく、自分らに不都合な九頭竜を庶民に与えない為である。

実際に九頭竜様の岩窟の戸が閉じていますけど(笑)次回はその事を書いていきます。

 

九頭竜は和合の神様でも有りますから。それを見えないようにしている事実があります。