前回は→その⑩

 

 

【前回までの中で気になる部分を更に堀り下げます】

「心御柱」の柱根を白杖でつく事です。未来永劫まで国が栄えることを祈ります。

~以上~

 

というところです。前回までのお話で私は以下の記述を紹介いたしました

【抜粋】

「心御柱」の概念と似ている中国の「天柱」があり、この意識の延長線上に神宮成立の本質があるといいます。天武朝以前の一定期間は、文字通り「天柱」を意識する高殿または楼閣風の建造物であり、それが本来の神宮の意味であって、用命天皇の即位前紀の神宮はまさにこの点を強調したもので、国家鎮護の聖廟としての神宮とは異なるといいます。天神が降臨したことを示す物的証拠であり、天神の象徴としての神宝を保管する施設が神庫であり宝殿です。石上神宮の構造は垂仁紀八七年一二月条によりますと、「天之神倉」と形容される高床建造物であったといいます。降臨の天神と交歓する神聖な場であり、神宝が保管される神倉であったといいます。「心御柱」は天上への通路となる架け橋に他ならないといいます。「天柱」のことを『淮南子』では天上と地上を支える柱とします。七世紀の推古朝には「天柱」を介して葦原中国とを往来したはずで、神宮の「心御柱」は単なる忌柱ではなく、神人双方が高殿・高倉に籠もり、交歓手段として意識されたといいます。(本位田菊士著『伊勢神宮と古代日本』二〇頁)

~以上~

 

本位田菊士氏とは?

1933年大阪府に生まれる。1965年早稲田大学大学院文学研究科日本史専攻博士課程単位取得退学(文学博士)。1964年~1994年兵庫県下公立高校教諭。2001年3月まで姫路獨協大学非常勤講師。というとても専門的な方で、他にもいくつか著書を出されています。

 

古代の書物は私は原本の方を見ていますが、やはり分からない部分も有りますし、相当難しいのでこういった専門家の方の出された本はとても良いと思います。しかし、こういう方々の本が元々あったのにも関わらず、どうしてあんな嘘だらけの駄本の数々が売れている様な風味にするのでしょうか?実はそれで分かる事が有るんですがその様な話にした方が良い個人や団体がどうみても有るからだって事に私が説明しなくても分かるかと思います。しかも流行っているかのようにネット上では取り上げますね(笑)

 

まぁ、スピ系はこれだけいっても、プライドだけは高く「私が間違ってました」とか言いにきませんから(笑)そして無理くり金儲けに励むのです。貨幣制度何て悪いものだと言っていたくせにねW

私のいう事が嘘だと思うなら周りのスピ系の人にタカチホブログを見せて差し上げてください。黙り込むだけで逃げますから(笑)それこそが偽物の表れです。

 

腐った嘘は良くないと思いますんで、私は今後も更に色々書いて行きたいと思います。誰かを罰する意味とかではなく、自分自身も嘘を刷り込まれているのが気持ち悪いと感じて来たので、どんどん江戸時代以前の記録を元に読み解いていきたいなと思います。

 

話を戻します

 

さて、この文章にて神御柱の儀式にて白い杖で柱の根元をつつくと有ります。このキーワードに再び着目して頂きたいと思います。この先生のいう事を素直に考えるなら柱は墓場でも有ると思います。なぜなら中国風味に考えるとそうなります。そして、アマテラスの死んだ後に柱を立てたと有るのだからもう決定でしょう。

※『唯一神道六十六箇伝聴記』

(一八一八年、西蔵寺円髄書写)の「心御柱伝」に、「心御柱」は天照大神が誕生した日本の本をなすところで、天照大神はここに柱を立てて天に昇ったとしています。日本の中央(中心)に立てたことから「心御柱」と名づけたといいます。

~以上~

日本の中心て、木の主が居るところは富士山だという話をカバラから話しましたが、実は他にも理由がる有るのでその件は口述します。

 

天に昇ったという記述やミスリード本などでも死んだイエスが貼り付けWという内容からも心御柱の根元に死んだアマテラスが眠っている事は否定できないと思いますが、そこを白い杖でつつくという意味になります。

では前回では触れなかった「白」って言葉にはどんな意味が有るでしょうか?前回までに詳細に渡り古代中国での色の意味について解説してきました。

【白の意味を簡単にまとめると】

●死

●喪

●反対する勢力(反動派)

●縁起が悪い

●陰湿・極悪

●全てが枯れゆく季節

●西から吹く冷たい風

●悪人

~以上~

 

 という事になります。色の意味を非常に大切にして居るのが古代中国での陰陽五行思想ですから、当然当時はそこに【思いが込められていた】のでしょう。

彼らにとって土着の日本人代表のアマテラスは目の上のたんこぶだったはずです。

【古代中国での白の持つ意味】

●反対する勢力(反動派)

●縁起が悪い

●陰湿・極悪

●悪人

~以上~

 と正に、彼らの目から見たらそうなのでしょう。そして、次に大切になってくるのは儀式で使用されている品物の形状です。何を使いましたか?

そうです、杖です。ですので、次に杖の意味を見て行きましょう。

【古代中国での杖の持つ意味】

①処刑:杖で叩く行為と言うのは「杖刑」と言い中国的な意味をそのまま解釈すると拷問の意味が有ります。心御柱の儀式が始まったであろう大和王権の代。そして始皇帝の家来で有る秦氏はそその影響下にあるでしょう。律令制の拷問を日本に入れてきたのも中国ですからその文化は間違いない事でしょう。その他にも杖には以下の意味が有ります。

②権威の象徴:象形文字「尹」は王笏(權杖)の意であり、命令をするための口を加えた字が、東アジアの漢字文化圏の王朝でみられた君主の称号「君」である。

【意識して頂くため重複しますが再び以下の内容を示します】

【中国の古代歴史を知らないと読み解けない杖の意味】

●寿神は健康長寿の神である。姿は禿げた老人で、右手に杖、左手に桃を持っているとされる。 福神は幸せと喜びを象徴する。その姿はまるで赤い服を着た中国の伝統的な封建領主のようである。 禄神は仕事や日常生活における成功の神である。古代では皇帝国家の守護神だった。

 

●封禅(ほうぜん)という儀式に見る杖の意味ウィキより参照まとめ

帝王が天と地に王の即位を知らせ、天下が泰平であることを感謝する儀式である。

始皇帝以前には72人の帝王がこの儀式を行ったと『史記』には伝えられている。その歴史は三皇五帝によって執り行われたのを最初としているが、伝説の時代であるため詳細は不明である。始皇帝以後では、前漢の武帝や北宋の真宗など十数人が、この儀式を行ったと伝えられている。

封禅の儀は古代中国の神話の時代によく行われていた儀式です。歴史が記されるようになって以降、史書に記されている最古の封禅の儀は秦の始皇帝により行われています。秦の始皇帝以前では春秋五覇であり名君として名高い斉の桓公が行おうとしたと司馬遷の史記に記されていますが、この時は家臣の管仲により諫められて実施を見送ったと言います。

秦の始皇帝が皇帝になったのちの紀元前219年に、泰山で封禅の儀を行ったが、このとき既に古い時代の儀式の知識は失われており、儒学者などを集めて封禅の儀式について研究させたが、各自意見がまちまちでまとまらず、結局我流でこれを執り行ったと伝えられている。その儀式の内容は秘密とされており、実際に何が行われたかはよく分かっていない。「天武紀」には「献杖」という儀式に関する記事があります。

【中国の皇帝儀式】

元来「中国」の歴代王朝において「宮廷行事」とされていた「桃」の木から作った「杖」により「悪鬼を祓う」儀式を「正月卯の日」に行なっていた。だから日本の原住民土蜘蛛達と戦うために大和王権は「土「海石榴」で「椎」を作ったという記事が出てきます。つまり、今風に言うと報道の様に敬語を使うのかしらね?木のハンマーで日本の土着民を沢山虐殺あそばされました。中国秦氏が家来なのでそそのかされたのか?自分が同じ血筋なのかは存じ上げませんがそれが事実ですって事。

~以上~

 

※現代も心御柱の儀式に関わっているのは秦氏を祖先とする八咫烏達なのだからこれには異論がないでしょう。つまり中国の皇帝の儀式で大切とされている事を日本の神武天皇にもやらせた?あるいは神武天皇自体が秦氏の可能性も有るけど、ともかくそういう方式でやって事には間違いないでしょう。

 

 

つまり『「心御柱」の柱根を白杖でつく事です。未来永劫まで国が栄えることを祈ります。』とは?

 

柱の下に死んで眠る縁起が悪く、反対する勢力であるアマテラスを罪人の様に杖で拷問し、また皇帝の権威の印、天と地に王の即位を知らせ、天下が泰平であることを祈り悪鬼(アマテラス)の再降臨を防ぎ、未来栄光まで我が御世が続くように祈ります。

という意味になります。

 

何となく君が代の歌を思い出しましたW

 

しかし、これが心御柱の儀式が何か?言えない本当の理由だと思います。

 

 

続きは→その⑫