前回は→その⑨

 

前回までのお話で気にして頂きたい部分をが有るのですが。

●内外宮の敷地に白石を敷き詰める儀式です。「杵築祭」(こつきさい)は敷地をつき固める祭で、「心御柱」の柱根を白杖でつくことです。未来永劫まで国が栄えることを祈ります。

~以上~

 

杵といえば縄文祭祀の後継を継いだ神武天皇を彷彿とさせますが、「杵築祭」(こつきさい)とは名ばかりで実際使うのは杵ではなく白杖だという事が記録から分かります。つまり儀式の際には対外的には杵を使うんだよ~的に仄めかしていますが実際は「杖」な訳です。そして柱は忌柱などとも言うと自ら言っちゃっていますが、実はそれが見られたくないことをしているからに他ならない証拠な訳です。それは中国の方式を知っていれば実は簡単に読み解けます。

 

【前回までの記事で古代中国での柱の意味を解説してきました】

つまり木柱って「墓」という意味が有るという事になります。そこから考えても心御柱の

「天照大神はここに柱を立てて天に昇った」という言葉はつまり現代風に言えば、死亡したアマテラスの葬式をしたという事になります。

そしてそれを別名「忌柱」っていう事も暴露はされている訳ですが

 

【忌むとはどんな意味か?】

 (忌む)

㋐呪術的な信仰などから、不吉なものとして避ける。禁忌とする。「葬式は友引の日を―・む」「宗教上、肉食を―・む」

㋑嫌って、避ける。「革新を―・む」「退屈を―・む」

 (斎む)身を清め、慎んでけがれを避ける。

~以上~

 

つまり柱の下に埋めたアマテラスの呪いが、自分の身に降りかからないようにする儀式だという事が言葉からも見えてきます。その事は、祭祀の形からも見えてきます。心御柱にはいくつかの儀式が存在ますが、その中の「杵築祭」(こつきさい)の分析を今回は致します。「杵築祭」(こつきさい)とは名ばかりで実際使うのは前述の様に杵ではなく白杖というのが今回のポイントになります。

 

【中国の古代歴史を知らないと読み解けない杖の意味】

●寿神は健康長寿の神である。姿は禿げた老人で、右手に杖、左手に桃を持っているとされる。 福神は幸せと喜びを象徴する。その姿はまるで赤い服を着た中国の伝統的な封建領主のようである。 禄神は仕事や日常生活における成功の神である。古代では皇帝国家の守護神だった。

 

●封禅(ほうぜん)という儀式に見る杖の意味ウィキより参照まとめ

帝王が天と地に王の即位を知らせ、天下が泰平であることを感謝する儀式である。

始皇帝以前には72人の帝王がこの儀式を行ったと『史記』には伝えられている。その歴史は三皇五帝によって執り行われたのを最初としているが、伝説の時代であるため詳細は不明である。始皇帝以後では、前漢の武帝や北宋の真宗など十数人が、この儀式を行ったと伝えられている。

封禅の儀は古代中国の神話の時代によく行われていた儀式です。歴史が記されるようになって以降、史書に記されている最古の封禅の儀は秦の始皇帝により行われています。秦の始皇帝以前では春秋五覇であり名君として名高い斉の桓公が行おうとしたと司馬遷の史記に記されていますが、この時は家臣の管仲により諫められて実施を見送ったと言います。

秦の始皇帝が皇帝になったのちの紀元前219年に、泰山で封禅の儀を行ったが、このとき既に古い時代の儀式の知識は失われており、儒学者などを集めて封禅の儀式について研究させたが、各自意見がまちまちでまとまらず、結局我流でこれを執り行ったと伝えられている。その儀式の内容は秘密とされており、実際に何が行われたかはよく分かっていない。「天武紀」には「献杖」という儀式に関する記事があります。

※現代も心御柱の儀式に関わっているのは秦氏を祖先とする八咫烏達なのだからこれには異論がないでしょう。つまり中国の皇帝の儀式で大切とされている事を日本の神武天皇にもやらせた?あるいは神武天皇自体が秦氏の可能性も有るけど、ともかくそういう方式でやって事には間違いないでしょう。

【その他にも中国では杖はこんな意味が有ります】
「(六八九年)三年春正月甲寅朔乙卯条」「大學寮獻杖八十枚。」~日本に杖の儀式が入ってきた経路を描くデータより~
 この「献杖(八十枚)」という儀式は、元来「中国」の歴代王朝において「宮廷行事」とされていた「桃」の木から作った「杖」により「悪鬼を祓う」儀式を「正月卯の日」に行なっていたことのいわば模倣であり、輸入であると思われます。 ただし「延喜式」に拠ればこれは「曽波木」(海石榴)の木で作ったものとされます。

(「大舎人寮」の項)
「凡正月上夘日供進御杖。其日質明。頭将舎人候承明門外。舎人叫門曰。御杖進牟止大舎人寮官姓名門候止申。訖掃部寮設案於中庭。頭以下舎人以上各執杖分為両行。入至案下立。/去案/三尺。
頭進奏曰。大舎人寮申。正月能上夘日能御杖仕奉弖進□良□久乎申給波久登申。勅曰置之。属以上共称唯。随次相転置案上。畢即退出。其杖曽波木二束。比比良木。棗。毛保許。桃。梅各六束。/已上二株為束。
焼椿十六束。皮椿四束。黒木八束。/已上四株為束。
中宮比比良木。棗。毛保許。桃。梅各二束。焼椿。皮椿各五束。/但奉儀見/両宮式。
拭細布四丈五尺。裹紙五百〓張。木綿六斤。木賊十五両。十二月五日申省。」

 ここでは「曽波木」とされ、その直後に出てくる「椿」とは区別されているようです。さらに「桃」も別にありますから、この「曽波木」というのが「石榴」を指すものと見ることができるでしょう。 さらに「延喜式の別の部分には以下のようにあります。

(「兵衛府」の項)
「凡正月上卯。督以下兵衛已上。各執御杖一束。次第参入。立定佐一人進奏。其詞曰左右兵衛府申久。正月能上卯日能御杖仕奉弖進良久登申給波久登申。勅曰置之。医師已上共称唯。献畢以次退。其御杖榠(和名カラナシ此樹宜作杖見在東大寺云々)■三束。/一株為束。
木瓜三束。比比良木三束。牟保己三束。黒木三束。桃木三束。梅木二束。/已上二秣為束。
椿木六束。/四株為束。
中宮。東宮宮別榠一束。/二株為束。
木瓜二束。比比良木二束。牟保己一束。黒木二束。桃木三束。梅木二束。椿木二束。並各長五尺三寸。」

ここでは「榠(和名カラナシ)」が挙げられており、やはり「椿」とは別物とされていたようです。ただしこの「榠」については「木瓜」と同じという説もありますが、上記中には別に「木瓜」があるため、それとは別と思われます。 ただし、いずれも霊力があるとされる「桃」ではなかった模様であり、ここでもやはり「石榴」が代用されたのではないでしょうか。それは「石榴」にも「桃」同様の「霊力」を認めたからに他なりません。

 そもそも「桃」に「悪鬼」を祓う力があるという考えは「イザナギ・イザナミ神話」に出てくるものが広く知られています。「イザナギ」は亡くなった「イザナミ」に逢うために「黄泉の世界」に行き、そこで「タブー」を破って「イザナミ」のありのままの姿を見たために、悪鬼となった「イザナミ」に追われることとなります。その際「桃」を投げつけて難を逃れたと言う事が書かれています。この段階では「桃」が主役ですが、「景行紀」になると
「土蜘蛛」と戦うために「海石榴」で「椎」を作ったという記事が出てきます。

土蜘蛛(民族) ― 上古の日本に住んでいた異俗の人々 ―. 土蜘蛛(つちぐも) とは、上古の日本に住んでいた土着の民族のこと。. 異俗の人々で山野の石窟や土室の中に住んでおり、大和朝廷に反抗して争ったとされている。.

~引用以上~

 

椎の意味→[意味] [一]ツイ ①つち。つちでたたく。(同)槌・鎚。「椎破・鉄椎」~広辞苑参照

因みに椎とは何なのかと解説すると、つちという道具でたたく事を表しており

①物を打ち叩く工具。頭は金属製または木製の円柱形で、横に柄をさしたもの。ハンマー。法華経方便品平安初期点「銅跋のツツミ、又ツチ也」

広辞苑より図を引用

縄文時代は杵を祭祀に使用していたんですが、どうやら彼らは同じ杵状態の道具を使用するのでも、ハンマーで人を殴っていた様子ですね。この様に沢山の日本の原住民をお殴りあそばして、本当に日本の皆様が仰るように伝統が有り上品な家系でいらっしゃる事ですね。

 

そして杖には他にも意味が有り

③律の五刑の一つ。罪人をむちで打つもの。刑具は笞と同じだが、60回から100回まで10回ごとの5等級とする。徒より軽く、笞より重い。杖刑。杖罪。

※つまり罪びと対する拷問って事でしょう。

 

【これらの事をまとめると】

アマテラスを葬った後、柱を立てて天に魂を上がる様に祈った事は祈ったのでしょうが、魂が蘇らないように一生懸命白杖で、彼女が埋められた地面をど突きまわして、自分のやった事を棚に上げて、まるで罪人扱いの様に忌み嫌いその上に自分の身長をマウントして永遠に自分の天下が永続するようにお祈りしてきたという事です。本当にとっても上品な家系です。良くそのような事を思いついたなと尊敬いたします。善良で頭の悪い庶民の私には全く思いつかない方法ですね。

アマテラスの名前を乗っ取ろうと思ったのは明治時代からでもなかったようですね。こうやって長きに渡り少しずつ少しづつ塗り替えて来たようですが、いつかは真実ってばれてしまうものなのです。それが【嘘が持つ宿命なのです】

 

 

 

続きは→その⑪