~プロローグ~

 今、自分達が出来る事は、マスコミを責めるより、受け手の思考能力の無さと無知を疑わなければいけない

 

 今日の中国を見て私達が良かったなと思う事は、自由に色々言える事と思っていませんか?確かに中国よりは自由に発言できるかもしれません。しかし、マスコミがきちんと説明出来ない事も事実です。

 

 香港の問題が今取り沙汰されていますが、コメンテーターが言っていた二点が私は非常に気になりました

●武器を渡している事実が有る。何かが背後にあるのではないか?

香港問題に詳しいというもう一人のコメンテーターは

●背後にアメリカがいる。

 

以上二点です。皆様はこれを聞いて何とも思わないんですか?

私はなんじゃそりゃあと思いました。諸事情はともかく「自由を守ることを援助したい」と思う方々がおられるのかもしれませんね。

 

 戦後の検閲を指摘する人が多いと思いますが、そもそも検閲なんて江戸時代から行われているんですよ。

出典:ウィキペディア

( 'ω'o[ 江戸時代の検閲について ]o

江戸時代から出版が盛んになるにつれて江戸幕府も検閲に乗り出すようになった。初期は

●キリスト教や幕政批判

●江戸幕府ならびに徳川氏の事績に関するものが発禁の対象

●(「仮名手本忠臣蔵」で吉良義央高師直などと南北朝時代の話のようになっているのは実名だと検閲にかかるためである)

●寛政の改革では風俗を乱すものや贅沢な出版物も対象となった

●版木を没収されたものでは林子平の『海国兵談』、山東京伝の『仕懸文庫』、恋川春町の『金々先生栄華夢』などが有名

●天保の改革では、為永春水柳亭種彦らの人情本や好色本などが版木没収

に遭った。

~以上~

 

 そもそもが本当の歴史なんて世に知られるのは非常に難しいんです。

つまり為政者に都合の良い情報になっているのは今に始まった事はありませんから。

  文明開化~ザン切り頭を叩けば文明開化の音がする~等という言葉で自由な気風が開けたと錯覚してしまいがちですが、ここからもある意味酷い検閲ぶりです。

 

( 'ω'o[ 明治時代の検閲について  ]o

大日本帝国憲法(明治憲法)は第26条で「信書ノ秘密」を、第29条で「言論著作印行集会及結社ノ自由」を定めていた。

しかし、明治憲法の表現の自由は法律の範囲内における自由とされていたため、実際上、法律によって広範な制約が加えられていた[2]。具体的には、出版法1893年)、新聞紙法1909年)、治安維持法1925年)、不穏文書臨時取締法(1936年)、新聞紙等掲載制限令(1941年)、言論・出版・集会・結社等臨時取締法(1941年)などが制定され、表現活動は強く規制されていた[2]

 

【そもそも出版物を出すこと自体が難しかった】

著作物は、出版法による文書、図書を発行したときは発行3日前に内務省に製本2部を納本する必要があり、書簡、通信、社則、引札、番付、写真などは内容が取締法規に触れないものに限り届出が省略された。

【皇室の圧政】

検閲にあたって当局は、内容が皇室の尊厳を冒涜し、政体を変改しその他公安風俗を害するものは発売頒布を禁止し、鋳型および紙型、著作物を差し押さえ、または没収することができた(明治26年4月法律15号、明治43年4月法律55号、昭和9年7月内務省令17号)。

【民衆に優しくない社会】

労働問題については1926年ごろから社会活動家で労働問題研究所の高橋貞樹などが、工場の労働条件、設備、組合、青年同盟、政党の問題、青年労働者の待遇と要求、内外の出来事を報じる「工場新聞」の編集・頒布を推奨していたが1930年に同様の趣旨で新人社が出版した書籍であるドイツXX党『工場新聞』は内務省が発禁処分をした。

~以上~

 

並べて見れば分かりますよね?為政者につまりは都合が良い。羊の民衆でいる方が扱いやすいもんねと思われているんだなと私は感じましたが、皆様はどう思いましたか?人は本当に平等だなとこれらを知って感じたでしょうか?

 

そして私が現代に一番結びついていると思っている戦争がいくつも起きていた頃の話です。在日がどうこう言う前に、自分達日本人のお上達がやってきた事を先ずは指摘しないとね。

 

( 'ω'o[ 他ならぬ自国民の代表が国民にやってきた事 ]o

内務省は、讒謗律新聞紙条例出版法新聞紙法映画法治安維持法などに基づき、書籍、新聞、映画の記事・表現物の内容を審査し、不都合があれば、発行・発売・無償頒布・上演・放送などを禁止や一定期間差止する検閲を行った。行政処分として、現物の没収・罰金、司法処分として禁錮刑を行った

 

日露戦争のあと、内務省逓信省に通牒し、極秘のうちに検閲を始めた [3]

1928年には検閲に関する内部資料『出版警察報』が刊行されたことで、これ以降の検閲については詳細な記録が残っている[4]が、1923年9月1日に発生した関東大震災により内務省も被災、発禁となった図書類や資料などを保管していた倉庫が火災で焼失したため、1923年以前の検閲に関しては不明な点が多いという[4]

内務省の検閲対象は民間であり、軍部やその外郭団体は管轄外であった[5]

 

関東大震災後に行われた記事差止めが1923年10月21日に解除されたことを受けて朝鮮人による暴動事件を報じる東京時事新報1923年10月22日付。ただしこの報道の取材源である司法省発表は信憑性が疑われている(関東大震災の項も参照のこと)。

 

一部の流言については正力松太郎が、1944年(昭和19年)の警視庁での講演において、当時の情報が「虚報」だったと発言している[53]

~以上~

 

 

はい( ̄▽ ̄;)前回も扱いましが関東大震災についての内容です。

子供の教科書を見ますと未だに日本人が韓国人を虚偽の内容で沢山殺した的な話になっていますね。

従軍慰安婦と同じ原理かなと私は推察いたしますがね。

 

つまり同じ情報であっても、報道する角度が違えば全く違う話になってしまうという事。

情報の受け手である私たちは、もっと冷静に読み取らなければいけないのです。

マスコミが信用できないからもう良いやって何もかも投げ出す姿勢・・・・・

そういう無関心こそを陰謀論は狙ってないですかね?

責めるべきは在日とかの前に、まずこういう事を行ってきたのが自分の国の日本人代表だと知るべきだと思いませんか?

 

 

 

続きは→その②