前回は→その8 

 さて、栄養豊富で大量に収穫を期待できる米が主食になっている国や地域は実際に人口が多いという事実があるというお話をしました。この、生産効率と豊かな栄養の有る米に古代の日本人は神聖さを感じてきたのでしょう。

ですので神様扱いな訳です(^ω^)ニコニコ


 米は人々の命の源である以上に、乾燥させて保存できるので食物としての機能が非常にすぐれているんです。長持ちする。この特性はお金の代用品としてまったく好都合でした。
時間の経過とともに価値が減少するのではお金にはなりえないからです。たとえばイモを主食としている民族も地球上にはいるものの、イモの腐敗は早いから財産にはなりません。このような地域ではブタやヤギが財産になっています。


さて、弥生時代の遺跡に残る高床式の建物は米の保管庫だったといいます。

これは実際の弥生時代後期の遺跡の高床式倉庫です。

吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)は、佐賀県神埼郡吉野ヶ里町と神埼市にまたがる吉野ヶ里丘陵にある遺跡。国の特別史跡に指定されている。

実りに対する神への感謝の気持ちとして、米は貢物としてこの建物に保管されまし。この貯蔵庫の名残が現代に続く神社の社殿になったのです。

 

では、どれくらい名残りを残してるのか事実検証してみましょう。

写真は、島根県松江市に鎮座する『神魂神社』

かもす神社と読みます

本殿は、出雲大社に代表される大社造(たいしゃづくり)という
もっとも古い神社建築様式であり、最も古い大社造ということで、国宝に指定されています。

※つまり、日本で最初に出来た神社はこの建築様式だという事なので。上の高床式倉庫に酷似しているので、この話は真実だと言うことでしょう。

 

集落が国家という体制をとり始めた時に米は国が管理するという決め事が出来た様子です。

実は、この頃から法律が有ったのです。
国家の体裁を整える過程で政府の米保管庫と変わっていったのです。米の保管庫は正倉というが、ここに保管された米の貯蔵年限は法律によって定められました。

 

【養老律令の倉庫令】

養老律令(ようろうりつりょう)は、古代日本で757年(天平宝字元年)

↑わかりにくいので調べたんですが、簡単に言うと奈良時代の一つの元号だと思ってもらえればわかりやすいかと

に施行された基本法令。構成は、律10巻12編、令10巻30編。大宝律令に続く律令として施行され、古代日本の政治体制を規定する根本法令として機能したが、平安時代に入ると現実の社会・経済状況と齟齬をきたし始め、平安時代には格式の制定などによってこれを補ってきたが、遅くとも平安中期までにほとんど形骸化した。廃止法令は特に出されず、形式的には明治維新期まで存続した。制定内容の資料が未発見である大宝律令は、この養老律令から学者らが内容を推測して概要を捉えている。

~以上~

    

( 'ω'o[  米は国管理になったという事です ]o

【米の保存性の高さを他の穀物と比べてみて下さい】

倉に穀物を貯蔵するにあたっては

稲・穀・粟は貯蔵年数9年までとすること

雑穀は2年まで

糒(ほしい)は20年貯蔵

する事として、貯蔵期間に応じた目減りを認めました。
糒というのは蒸した米を乾燥させたもの。保存食として備蓄するだけではなく、旅行などにも欠かせないものでした。生きるためのエネルギーを20年も貯蔵できるのです。

米の事は

●実って「稲」

●脱穀すると「穀」

●正倉に収納された新米を「租」

●保管して一年を過ぎると「税」

と呼ばれましたが、まさに米は税として扱われ、それがお金の機能を持ち出したのです

~以上~

 

糒(ほしい)て、実は何気なく耳にしている言葉だと思います。

皆様は、糒(ほしい)って何で聞いた事ありますか?たかちほは、時代劇で武士が持っているのを見た事が有ります。そうなんです(^ω^)ニコニコ古代から携帯食として馴染みの深いものでした。

今時で言うとアルファー米がこの原理を使用していますね。しかし糒(ほしい)ってどこに行けば試せるのか?何か試してみたくなってきた人居ませんか?

そんなあなたに次回は楽しい情報をお伝えしたいと思います(^ω^)ニコニコ

 

続きは→その10