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 それでは、私の思い込みではない証拠に、その道のプロである神社様の解説を引用させていただきましょう。


住吉神社様より引用→こちら
弁財天は時代と共にあらゆる神仏と融合し、「弁財天根本式」には『弁財天は八大龍王と示しては四海に恩波を注ぐ・・・。』とあり、弁財天にある八本の腕は八大龍王、さらに弁財天自身の頭をも龍として九頭龍大権現、八識、八大観音(如意輪観音・馬頭観音・准胝観音・聖観音・千手観音・十一面観音・不空索観音・白衣観音)の総体を表すとされております。
~以上~



上の文章を要約すると

弁財天=八大竜王=九頭龍大権現=馬頭観音

となる事がわかる筈です。


したがって

弁財天=馬頭観音

と言う事が出来ます。


それを意識した後に・・・・よ~く以下の文章をご覧下さい・・・・。




【日蓮宗:身延鏡より】

引用ウィキペディアより→こちら

此の御神と申すは※本地弁才天功徳天女なり。鬼子母天の御子なり。

本地とは、垂迹の対句。神道の神々の根本真実身の事。それぞれの神の本地は,いずれかの仏または菩薩と考えられた。

 右には施無畏の鍵を持ち、左に如意珠の玉を持ち給ふ。北方畏沙門天王の城、阿毘曼陀城妙華福光吉祥園(あびまんだじょう みょうけふっこうきっしょうえん)にいますゆえ吉祥天女とも申したてまつる。

 

 山を七面といふは、此の山に八方に門あり、鬼門を閉じて聞信戒定進捨懺(もんじんかいじょうしんしゃざん)に表示し、七面を開き、七難を払ひ、七福を授け給ふ七不思議の神の住ませ給ふゆへに七面と名付け侍るとなり。

 

 此の神、末法護法の神となり給ふ由来は、建治年中の頃なりとかや、聖人読経の庵室に廿(20)ばかりの化高き女の、柳色の衣に紅梅のはかま着し、御前近く居り、渇仰の体を大旦那波木井実長郎党共見及び、心に不審をなしければ、聖人はかねてそのいろを知り給ひ、かの女にたづね給ふは、御身はその山中にては見なれぬ人なり。


 何方(いづかた)より日々詣で給うとありければ、女性申しけるは我は七面山の池にすみ侍るものなり。聖人のお経ありがたく三つの苦しみをのがれ侍り、結縁したまへと申しければ、輪円具足(りんねんぐそく)の大曼荼羅を授け給ふ。

名をば何と問い給へば厳島女(いつくしまにょ)と申しける


 聖人聞し召し、さては安芸国厳島の神女にてましますと仰せあれば、女の云く、我は厳島弁才天なり。

 

 霊山にて約束なり、末法護法の神なるべきとあれば、聖人のたまはく、垂迹の姿現はし給へと、阿伽の花瓶を出し給へば、水に影を移せば、壱丈あまりの 赤龍となり、花瓶をまといひしかば、実長も郎党も疑ひの念をはらしぬ。

 

 本の姿となり、我は霊山会上にて仏の摩頂の授記を得、末法法華受持の者には七難を払ひ、七福を与へ給ふ。誹謗の輩には七厄九難を受け、九万八千の夜叉神は我が眷属なり。身延山に於て水火兵革等の七難を払ひ、七堂を守るべしと固く誓約ありてまたこの池に帰り棲み給ふ。

~以上~



という訳で

七面天女=弁財天=馬頭観音

という事が理解出来たと思います。


しかし・・・・男?女?

一体どういう訳?という疑問を持った方も居られると思います。


その疑問に、たかちほちゃんがお答えしたいと思いますm(_)m




続きは→その14