神功皇后の本名は、息長足姫 (おきながたらしひめ)
といいます。
参考資料:島の伝説より
「息長(おきなが)」というのは、息長氏という、豪族の名前です。
旧市町村だと、「滋賀県坂田郡近江町息長村」の周辺で、今の
滋賀県米原市のあたりです。
息長氏の支配地は、琵琶湖の東岸にありました。
滋賀、京都南部、奈良北部、大阪東部が、息長氏の勢力圏内でした。この場所で、神功皇后が生まれました。
神功皇后は、古墳時代の皇族(王族)といわれています。
それでは、この息長氏という豪族は、どのような豪族だったのでしょうか。
息長というのは、「息が長い」という意味があり、このことから、潜水を専門とする海人であったともいわれており、また、「風を吹く」という意味もあり、このことから、風の神で、ふいごを使う、製鉄の民である、とも言われています。
そして、この一族は継体天皇の大和入りを助けたともいわれています。
はい(*^^)vそんな家系という事実が有るそうです。
でも、ここで解ってしまう事がいくつか有ります。
彼女は渡来系の豪族だという事がおわかりでしょうか?
前回の家系図を見て頂くと・・・・
新羅からやって来てます・・・・・
ヘブライ・・・・そうですまさにその話し・・・・
飛鳥氏の主張。卑弥呼はヘブライ。そしてヤタガラス。白山王朝。辛島 スグリ乙女と八幡様。
結局全部ニュアンスが繋がるという事をこれから私が書きます。
まずは、一つとんでもなく重要な内容がこの文章の中には有るのです。
きちんとした物証も残っている話しですので、信憑性は有ります。そしてはっきりと公文書に書かれている事ですので動かしがたい事実何です。
所が・・・・意識されない様に持って行かれているのです。
この話しは歴史がひっくり返ってしまうのでアメンバー記事にします。
次回からは、神功天皇は近代ではこの様な所に表現されていたというお話しです。
実は彼女はとても容姿端麗だった様ですが、その事を意識してか、誰にでも見える場所に肖像画(正確には彼女をモチーフとして)が使用されていたのです。
続きは→その6