前回は→その3       最初から→その1

 

 このお話しは、古事記と日本書紀とは異なるところもあります。とある島に伝わっている、神宮皇后伝説を今からお話ししたいと思います。

古事記や日本書紀の内容と違うじゃないか、と思われる人もおられるでしょう。しかし、この内容は、古くからその土地に伝わっているものです。

古事記や日本書紀の内容とは、矛盾する箇所もありますが、その島に伝わる神功皇后伝説であるという事を踏まえてありのままに御紹介していきたいと思います(*^^)v


血筋のお話しから始めたいので、神功天皇の母・・・・つまり応神天皇のおばあちゃまの代から書き始めますね。


【応神天皇のお婆ちゃん物語】

天の日矛(アメノヒボコ)という、新羅の国王の、王子様がいました。但馬の国に船をとめて、そこで生活し、但馬の女、「前津美」と結婚しました。
やがて、子供が生まれ、その子供の4代目の子孫に、葛城高額比売(かつらぎたかぬかひめ)がいました。
この葛城高額比売(かつらぎたかぬかひめ)が、神功皇后の

母親です。

葛城高額比売は、第9代開化天皇の曾孫で、気長宿祢王(おきながすくねおう)と結婚しました。
この、葛城高額比売命と気長宿祢王との間に、生まれたのが、神功皇后です。

~以上~

 

あれっと思いませんでした・・・・?

そうです・・・・。

天の日矛(アメノヒボコ)とは新羅の国王の王子様なのです

(*^^)v

 

新羅とは・・・・図と文共にウィキペディアより


~引用以上~

 

 新羅(しらぎ/しんら、紀元356年- 935年)とはは、古代の朝鮮半島南東部にあった国家。「新羅」という国号は、503年に正式の国号となった。

 

 新羅、半島北部の高句麗、半島南西部の百済の3か国が鼎立した7世紀中盤までの時代を朝鮮半島における三国時代という。

 

7世紀中ごろに朝鮮半島をほぼ統一し、高麗、朝鮮と続くその後の半島国家の祖形となった。内乱や飢饉で国力を弱体化させ、高麗に降伏して滅亡した。

西から東へ・・・・来た・・・・・・。

 

そうです!私が言って居た民族の流れの話しそのままです。

という事はどいう事でしょうか・・・・・?

 

実は神功天皇と言うのは・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

続きは→その5