安曇族の本体は安心院(宇佐)に在った事は謂うまでもありません。八面て、三面鬼の事だと思ってるんです。
論拠は、近くに在る『母なる山』と崇められています『八面山(はちめんざん)』別名、箭山(ややま)であります。
この地から、大型外洋の造船に適した大川市の『榎津』や北九州遠賀川~宗像周辺に移動した安曇族の一部は『八面山』を偲び、八女(八面)の地名を名付けたものと考えられます。その後、安曇族は北陸・近畿・東海・関東等、全国に散らばります。
長野の安曇野では『八面大王説話』が伝承され、このお方は『八女の大王(やめのおおきみ)』の事であろうと考えられています様ですが、宇佐安心院出身の『八面大王』であった。とも可能性を考えなければならないでしょう。
でもまあ、どちらだったにせよ・・・
北九州からきた部族の人、上記の二人どちらかが長野に来て八面大王として活躍したという事に変わりはないでしょう。
はい、ここまでが、文献などから解る八面という言葉の分析です。
でもたかちほは新しい事を見つけてしまいました(^_-)-☆
それはね・・・
三つの顔と六つの腕を持つ仏像を「三面六臂」といい、傑出した手腕や力量を持つことにたとえて使われる。
この「三面六臂」が転じて「八面六臂」というようになったもので、「八面六臂」という仏像は実在しない。
八面は仏像では存在しないんです。
何が言いたいか・・・
はいつまり・・・仏像って神様を模造したものでしょ?
神様=宇宙人という説を前提に考えるとわかってくるのです!
そして私は八上シリーズで大国主(大黒様)が三面鬼であるという説明をしました。実際の記事は→こちら
つまり・・・天から降りて来た神様の中には三面鬼の姿をしたものが確実に居たという事実。
ここまではわかりますよね?
何言ってるの?
でもね・・・これをご覧ください。
これ何だと思いますか?
答えは『アンドロギュノス』というものです。
これが何か関係あるの?
はい・・・おお有りなんです。次にはこれが何かという詳細をお伝えしていきたいと思います。
続きは→その4