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龍体。一番右側に顔が有ります。
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三ツ目 に牙。真ん中辺りには存在が一杯
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先ずは、このワサビ農園の八面大王の物語の主人公である八面大王の正体について追及すると答えが見えてくるんです。

これには諸説あるので。それを紹介します。



①『八女の大王』(やめのおおきみ)の名前から八という感じを取って名付けた。

八面大王=八女の大王と同一人物であるという説。
八女の大王って誰?

北九州で、6世紀の初めに継体帝に滅ぼされた筑紫の君という人物がいたのです。
その磐井の子供葛子というのが
それを別名『八女の大王』と言います。

それが継体帝から逃れ、安曇族と共に信濃にたどり着き住みついた。
その末裔が八面大王であると想定している。
【坂本博「信濃安曇族の謎を追う」】より引用




②八面山から名前を取った
安曇族の本体は安心院(宇佐)に在った事は謂うまでもありません。
八面て、三面鬼の事だと思ってるんです。


論拠は、近くに在る『母なる山』と崇められています『八面山(はちめんざん)』別名、箭山(ややま)であります。


この地から、大型外洋の造船に適した大川市の『榎津』や北九州遠賀川~宗像周辺に移動した安曇族の一部は『八面山』を偲び、八女(八面)の地名を名付けたものと考えられます。その後、安曇族は北陸・近畿・東海・関東等、全国に散らばります。


長野の安曇野では『八面大王説話』が伝承され、このお方は『八女の大王(やめのおおきみ)』の事であろうと考えられています様ですが、宇佐安心院出身の『八面大王』であった。とも可能性を考えなければならないでしょう。


でもまあ、どちらだったにせよ・・・

北九州からきた部族の人、上記の二人どちらかが長野に来て八面大王として活躍したという事に変わりはないでしょう。


はい、ここまでが、文献などから解る八面という言葉の分析です。


でもたかちほは新しい事を見つけてしまいました(^_-)-☆

それはね・・・


以下はたかちほ独自の説なのですが、聞いたら辻褄が合ってくるので侮れないと思いますよ(*^^)v

ます八面の意味を考えます。

古事ことわざ辞典より引用→こちら
八面六臂(はちめんろっぴ)
八面六臂とは、多方面でめざましい活躍をすることのたとえ。また、一人で何人分もの働きをすることのたとえ

八面六臂の「臂(ひじ)」は「腕」という意味。
三つの顔と六つの腕を持つ仏像を「三面六臂」といい、傑出した手腕や力量を持つことにたとえて使われる。
この「三面六臂」が転じて「八面六臂」というようになったもので、「八面六臂」という仏像は実在しない。
~以上が引用です。

八面は仏像では存在しないんです。

何が言いたいか・・・

はいつまり・・・仏像って神様を模造したものでしょ?

神様=宇宙人という説を前提に考えるとわかってくるのです!


して私は八上シリーズで大国主(大黒様)が三面鬼であるという説明をしました。実際の記事は→こちら


つまり・・・天から降りて来た神様の中には三面鬼の姿をしたものが確実に居たという事実。


ここまではわかりますよね?


何言ってるの?


でもね・・・これをご覧ください。


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これ何だと思いますか?

答えは『アンドロギュノス』というものです。


これが何か関係あるの?


はい・・・おお有りなんです。次にはこれが何かという詳細をお伝えしていきたいと思います。





続きは→その4