ボブ・ディラン「ホーボーとはいえ」 | 牧歌組合~45歳からの海外ミュージシャン生活:世界ツアーに向けて~

ボブ・ディラン「ホーボーとはいえ」


The Bootleg Series, Vols. 1-3 : Rare And Unreleased, 1961-1991


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歌えて、ちゃんと意味も伝わる洋楽の日本語訳。この仕事の領域で僕が最も尊敬しているのが、片桐ユズル氏のボブ・ディランの邦訳作業だ。とくに10歳台のとき感銘を受けたのがディランの「ホーボーとはいえ(Only a Hobo)」の日本語訳(「ボブ・ディラン全詩302篇―LYRICS 1962‐1985」 に収録されている)。この曲はロッド・ステュワートのセカンドアルバム「ガソリン・アレイ」でもカバーされており、ロン・ウッド(Ron Wood)とロニー・レーン(Ronnie Lane)が見事なアコースティック・ギターの伴奏を行っている。今日は、そのロッド・バージョンの曲構成に基づきながら、 片桐ユズル氏(ライヒの翻訳なども行っている)の和訳歌詞を歌ってみよう。


Rod Stewart
Gasoline Alley
ある日街を 歩いていたら 年寄りのホーボーが 倒れてた
|6/8 G |C-G |G |D7|
冷たい歩道に 仰向けになり 一晩以上も そのままらしい
|G |C-G |G |D7-G|
ホーボーとはいえ ひとひとり死ぬ 誰も歌わぬ 哀しみの歌
|C |G |G |D7|
誰も引き取らぬ この死体 ホーボーとはいえ ひと
|C |G |G |D7|
ひとり 死ぬ
|C |G |G |G|

愛知万博による都市清浄化のなか、多くの浮浪者が名古屋から追い出され、大阪、神戸へと流れていると聞く。僕は彼らを「先輩」と呼ぶ。なぜなら、僕(ら)も、いつ、そうなるか解らないと思うからだ。ホーボーを生むのは、当人のせいでもあるし、社会のせいでもあるが、とにかく教も何処かで、誰も引き取らぬ死体が生まれている。

エドワード ファウラー著: 「山谷ブルース」
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