1791年11月26日 サンクトペテルブルクを出発し、1792年1月イルクーツクに帰る。4カ月滞在し、帰国の準備をする。洗礼を受けた庄蔵、新蔵とはここでわかれることになる。その後の庄蔵、新蔵はどのようにロシアで過ごしたのであろうか!?

5月20日にオホーツクに向けて、光太夫、小市、磯吉、出発する。レナ河の岸カヂカから船でヤクーツクへ。ヤクーツクでは白夜を体験した。7月2日ヤクーツクからは、馬でオホーツクへ。道中、蚊の大群に襲われ、馬、人ともにかなり大変な道のり、また、熊にも気をつけなければいけない。野宿をしながら、進んで行った。8月3日オホーツクに到着した。

 

 

イルクーツクからヤクーツクまではGoogleMapの経路案内で表示されるが、現代において、ヤクーツクからオホーツクに行く交通手段のルートが徒歩でさえ出てこない。かなり難しい移動だと推測できる。

 

オホーツクでは船の準備がされていて、「エカテリーナ号」八百石の商船。キリロ・ラクスマンの次男(陸軍中尉:26歳)が使節団として同行することに。その他、日本語通訳のトラぺス二コフ、トゴルコフ。アイヌ語も話せるシャバリンなど総勢42名であった。

 

⑨につづく