お爺さんとの思い出

自分が小学生の時だから、約40年程前、お爺さんにいとこと共に、当時日生球場に、近鉄の試合を観に連れて行ってもらったのが、初めて生で見たプロ野球でした。

 

すごい面白くて、お爺さんも機嫌をよくしたのか、次の日も日生球場に連れていってくれました。

当時覚えているのは、大石大二郎選手の走りです。

ライトスタンドに座ってて、ホームランボールも飛んできました。

家からも近かったので、日生球場は便利でした。

 

そのお爺さんも、他界し、すでに35年になりますが、お爺さんはいつもスポーツニッポンをとっていて、阪神と南海のファンだったようです。

よくご飯食べろ、ご飯食べろって言われたけど、要らん、要らんって返事をしていたので、むこうからすると、つまらん孫だったかも知れません。

自分も年とって爺さんになったときは、スポーツニッポンをこのインターネットの時代でも取ろうと思います。

 

肝臓がんで亡くなったけど、死に際には、ほとんど話すことができず、死んでしまったので、最後の言葉とかも無かったけど、これまでで究極に泣いた覚えだけあります。

 

いつも、オロナインとメンソレータムをタバコの灰皿付近においていて、しょっちゅう手などに塗っていた覚えもあります。

なのでオロナインは自分も引き継いで、なにか皮膚にできたら使ってます。

 

学生の頃に、顔の肌がきれいやなと何度が言われ、社会人になったときも、会社の女性に顔の肌がきれいといわれたのは、これのお陰かもしれません。

会社の女性にはDoveの洗顔を使っていると答えておきました。

とくに洗顔に凝っているのではないですが、家の人が使っていたのを風呂場でそのまま借りてただけです。

でも実はオロナインの効果があったと自分では思ってます。

家族に皮膚になんかあったときは、オロナインつけたらなんでも治るといってもイマイチ信じてもらえません。

 

阪神タイガース

 

やはり生まれ育ったのが、大阪で自然に阪神ファンになったと思いきや、実は自分では王さん、長嶋さんに憧れてましたが、いとこも皆、阪神ファンなので、小学校の頃に自分の意志を、まげて阪神ファンになった覚えがあります(笑)(子供の頃から割と世間との平衡感覚的なセンスはあったし、いじめっ子といじめられっ子と両方とも仲良く付き合うようなタイプの子供だった)

 

それ以来ずっと阪神ファンなのでかれこれ40年です。

一番の思い出はやっぱり1985年の優勝です。

当時、小学6年生でバース、掛布、岡田選手のバックスクリーン三連発。

たしか、ヤクルトと引き分けで優勝した覚えや、抑えの中西投手の活躍。

個人的には、真弓選手が好きで、風呂屋で皆でミッキーマウスのテーマソングを合唱してました。「真弓、真弓、ホームラン!...」

流石に日本シリーズは西武に負けるだろうと皆で言ってました。

しかい、日本シリーズ見れるだけでも夢ごごち気分でしたので、まあええやん的なことを皆でいってましたが、驚いたことに西武を倒して日本一になりました。

それはもう最高で、また誰か道頓堀に飛び込むなと当時、皆で言ってました。

 

1989年は、開幕当初フィルダー選手がめちゃ打つので、かなり今年は行けると思ったものの、GW頃、三振して自分のバットで骨折してしまい、そのまま終わったのはかなりショックでした。

 

それから、高専時代(1992年)に一度、優勝しそうになり、ちょうど社会見学の帰りのバスで皆で対ヤクルト戦を見た覚えがあります。

あれも究極に惜しかった。八木選手の幻のホームラン!

あれが入っていれば、その後勢いはずんで、優勝もあったと思います。

 

こっからしばらく暗黒時代がつづきます。

が、オマリーの首位打者や和田選手の安定した活躍を覚えています。

 

阪神のいちファンとして、野村監督になったときは、正直えっと思いました。

社会人になり、仕事を終えて、サンテレビつければ、延長戦になっても試合終了までやってくれるので、ビール片手によく観ていました。

当時、今岡選手のファンで、あんま出場してない時があったのを覚えてます。

星野監督時代

 

いちファンとしては、さらに驚いたのは星野監督になった時です。

2003年の快進撃は今でもすごい覚えていて、テレビをつける度に勝っていました。

後半ちょっと落ちたけど、6月とかの時点で100勝する位の勢いでした。

アリアス選手のホームランも気持ちよかったです。

 

日本シリーズは福岡ダイエーホークスに負けてしまったけど、甲子園で3連勝したときは、一瞬、これ行けるでと思いましたが...

 

 

 

岡田監督時代

 

1年目は4位でしたが、また星野監督のように4位から次の年は、優勝ってのもあり得ると個人的に期待していたら、2005年優勝。

JFKの安定感がありました。

2008年も優勝するチャンスがありました。

お盆位から、ちょっと嫌な感じがしてきて、残念ながら9月終わり位に巨人との我慢比べみたいになってしまった。

 

でも、岡田監督はよくやったと思うし、確か北京オリンピックで選手が抜けたのも多少原因としてはありそうです。

 

真弓監督時代

 

1年目はまた4位なので、これまた次の年いけるかなと期待していました。

2010年マートン選手が良く打ちました。

観ていて面白かったです。

残念ながら一時、首位の時もありましたが、2位で終わってしまいました。

 

和田監督時代

 

海外赴任もあって、一時プロ野球観戦から離れた時期でありましたが、新人の藤浪選手は高校生出からいきなり戦力になって感心していました。

 

年末年始の日本一時帰国の時、子供がキッザニア甲子園に行くので、連れていったのですが、家内にこどもを任せ、甲子園スタジアムツアーを申し込みました。

お昼に待ち合わせ場所に行くと、参加者は私一人で、マンツーマンでツアーの案内をしていただきました。

3塁側のベンチに入らさせていただいのが、いい思い出です。

 

 

冬の平日にスタジアムツアーに行くと空いていてお勧めです。

その後、甲子園歴史館も一人で満喫しました。

ここは阪神の歴史だけではなく、高校野球ファンも必見です。

懐かしいユニフォームに出会うことができます。

 

金本監督時代

 

この時は、日本に帰ってきました。

金本監督は新しい試みで若手を積極的に起用しました。

高山選手が新人王を獲ったのがうれしかったです。

糸井選手も加入して、かなり期待度はあがりましたが、成績的には2017年は2位でしたが、2018年は残念な年になってしまいました。

 

矢野監督

矢野監督は、個人的には愛着があります。

瓜破出身だし、桜宮高校出身だから、いわばコテコテの大阪出身です。

 

2021年は、監督3年目。

投手は藤浪選手が完全復活、西選手、青柳選手、秋山選手の安定感。

高橋選手も4月からローテ入りしてもらって、今年加入したチェン投手も徐々に調子を上げてもらって、若い選手がでてくれば先発はひとまず御の字だと思います。

 

また、中田選手や岩田選手のような経験ある選手が、チームが調子を落とした時に我慢強く勝利に導くような投球をして欲しいです。

 

中継ぎは、今年も岩崎選手、岩貞選手、馬場選手になるのでしょうか。

小野選手、桑原選手なども沢山テレビで見れるようになるといいのですが。

抑えはスワレス選手でしょう。

 

投手は36名の方が、いらっしゃいます。全試合143試合。

延長なしの単純計算で1287回投球回。36名で単純に割ると、35.75。

つまり4試合分。

新人の人にも個人的には1試合は投げさせて欲しいですね。

 

打者の方は、大山選手はずっと4番で一年過ごして欲しいです。

去年は何度かサンズに助けられました。

韓国から来るロハス選手にも期待はかかりますが、現時点では未知数です。

 

2018年のロサリオ選手は、外角に逃げてボール球になるスライダーを空振りしていたから、成績があがらなかった。

サンズはそれが待てたから、最後はピッチャーがストライクゾーンに投げるしかなく、その球を強襲できて、成績もよかったです(夏場調子を落としましたが)

 

新人ドラフト1位の佐藤選手もオープン戦でかなり活躍して大騒ぎです。

単純な子供の頃なら、はしゃいでましたが、今の自分の思いは、1年通して出場させてあげて欲しいと思います。

 

今年は7月19日から8月12日までは東京五輪開催による中断期間が組まれているので、これが実に微妙ですが、この期間がタイガースにとって、プラスに働くように願いたいです。

以前は、夏場は死のロードといって、甲子園が高校野球で使用できない間、いつも負け越すことが頭によぎりましたが、近頃は京セラドームも使えるようになったので、以前よりは選手の負荷が減ったと思います。

 

プロ野球の話をすると、ファンにより人を分けてしまうことになるのですが、どのファンもこういったコロナの中で野球を楽しめることは素晴らしいことだと思い、また、将来自分が仮にお爺さんになったときに、こんなことを書いていたんだなと振返りができると思い、思い切ってプロ野球についても書いてみました。

 

プロ野球も好きなチームを応援して、大人から子供へ引継ぎされていけばいいと思います。

親と好きなチームが違ってもなにも問題ない自分の好きなチームを見つけようだと思います。

 

時間があればパリーグの思いも書いていこうと思います。