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アレックス コーチングを学ぶ

新米マネージャーアレックスシリーズである。

日本ではリーダーシップ、コーチング、モチベーションの順に発売されているが、コーチング、モチベーション、リーダーシップの順に読むのが正しい。

さて、コーチングであるが、大事なポイントは3つ

・気づき
・性格タイプによってコーチングアプローチを変える
・コーチングとカウンセリングは違う

である。気づきとは、つまり答えをしっていても与えないこと。
コーチングするとは、解を知っていても、あえてコーチされる人に考えさせるように適切な問いを発することである。
誘導尋問ではないようにするのが注意点である。

性格タイプとはMBIT指標というユング心理学をベースにした16分類の性格タイプ。その人がもつエネルギー源が内向的か外向的か、ものの見方が、5感を使って感覚的か、第六感の直感的か、判断基準が、論理的か、感情的か、対処の仕方が、計画的か、場当たり的(臨機応変)かの2 の4乗の16タイプである。

なかなか興味深く、職場の上司や部下にあてはめてしまった。
「16の性格」という本をかって現在読書中。

最後のコーチングとカウンセリングの大きな違いは、あくまでビジネスライクに徹し、個人的な悩み相談にはのらないこと。

要点がコンパクトにまとまっておりなかなかおもしろかった。


「セクシープロジェクトで差をつけろ!」

先日、トムピーターズの 「セクシープロジェクトで差をつけろ」を
読んだ。

すごい。

洋風岡本太郎。
プロジェクトは爆発だぁ みたいな。

言いたい事は、シンプル。

すごくて、美しくて、インパクトがあって、熱狂的ファンがいるプロジェクトをやれ!

このすごいがポイント。日々のつまらない仕事にもすごいことは隠れている。
コツは、このつまらない仕事がどうやったらすごい仕事になるか考え続けること。

まずは、日々観察して世の中のすごいことをメモっていこうっと。

突然読書をはじめる原因は何か?

一つ疑問がある。
自分のように昔から継続的に読書をしていた人間は別として、大学時代以降、もしくは社会人になって以降 急に本を読み出す人たちがいる。

その変化は、いま観察している限り不連続であり、なにか理由があると思うので考えてみたい。

もっともてっとりばやいのは、彼らに聞いてみることなのだが、彼らいわく「それが必要になったから。」 ということらしい。

つまり生きるためのツールとして彼らは、これまで読書を選択してこなかったが、選択せざるをえない状況になったということである。

その要因は何か。
いろいろとあると思うが、読書の悪弊というものがあると思う。

例えば、影響されやすい人というのがいる。本を読むとその著者が言っていることに対して、完全に正しいと思ってしまい、しかし他の本では違うことを言っており何が正しいかわからなくなるというような。

そういった経験を幼少時にしてしまった人は、本を読むということをしなくなったのではないか。
そういう仮説をたててみると、大学生になり社会人となり自己というものが成熟してくるにしたがって、自分なりの軸というか考え方がある程度確立した段階で、混乱をせずに思考を発展させていくということができるようになってはじめて、読書をしようという風になるのかもしれない。

読まなかったのは読まなかった理由があると思うのだ。 もちろん、情報を入手するというのは、人と話すことでも得られるしそれが得意な人は本を読まなかったのかもしれない。
だけど、そうだとすると、今もってなぜに突然読み出したのか?という説明にはならない気もする。 では、本を昔から読み続けている人はどういった人なのであろうか。
おそらく、同じような混乱を体験したにも関わらず、何かしらの要因で読み続けた結果、一つの結論。

「物事に絶対的に正しいことなんてないし、いろんな観点がある。それをもっと知ってみよう。」 にたどり着いたのではないだろうか。

なお、どちらがいいというのではない、前者が、自分の脳みそを使ってあまり影響を受けないように自己の思考形式をある程度発展させてきたのにたいし、後者は、完全に他人の脳みそを踏み台にして考えてきた感がある。

さらに今まで読んできた人が突然読まなくなるといった現象も生じる可能性がある。

そういったとき、アプローチの違いはあれ、人間といのは何かしらみんな考えていきてきているものだなぁと感じることがある。

How to 本なんかを読むと、こうしない人はだめだとかよく書いてあるが、なんというか、そういうものではない気がする。
ここまで書くとすこし哲学チックになってしまい、結論なき問答になりそうだが、、、、。
また今度考えて書くことにしようと思う。(結構論旨もぐちゃぐちゃだが、このブログでは思いついたまま書くことを重視している。。。)

働くということは何か?

子供のころからずっと不思議だった。

どうして大人は働くんだろう。
どうして僕と遊びたそうなのに、外にでていくんだろう。
どうしてあんなに苦しそうにしているんだろう。
どうして休みがないんだろう。

とか思っていた。

自分が働き出しておもったことがある。
それは、もし働かなかったらいったい何をするのであろうか?と。

例えば自動的にお金が入ってくるとして、
僕はそれで幸せなのだろうかと。考えることがある。

短期的にみると幸せなのかもしれない。だけどその幸せは長期につづかない
気がする。
人は、歴史的に集団で生活し、それをもって困難に対処してきた。
そのような中で、人の遺伝子には、
「私はだれかに必要とされている。」という感覚は最も重要なある意味
生きがいとして刻み込まれているのではないか?という仮説を考えている。

というか人間に限ったものでなく、何かは何かに必要とされていてそうでない
ものは存在しない とも思うこともある。

そういう意味では、仕事というのは、効率的にそういった要求を満たす
場でありツールなのではないかと思う。

お金を稼ぐという Mustな部分と
自己実現といってしまえば安っぽいが、生きているという感覚を得やすい場所としてのWants の部分が働くということにはきっとあるのだろう。

私と読書のかかわり

そもそも、読書が好きだったのは、親の影響であろう。

物心ついたころから本を読むのはいいことだということを
無条件に受け入れる素地ができていた。

いながらにして、万人の考えをうけとれる本の万能さに
感動してむさぼるように読んでいた。
(それに対しての疑問はまた別途)

昔からすこし変わった子供だったらしい。AB型という血液型だから
という人もいるが、そのあたりは微妙である。

小学生のころ、もらった国語の教科書はその日のうちに全部よんでいた。
学校の図書室の本は、左から右へと棚を全て制覇していった。
近隣の児童図書館は全ておさえ、放課後は、図書館をはしごしてそこで
おこなわれる朗読会などを聞くのが楽しみだった。

何が僕をそうさせたかはまったくわからない。けれど、
それが楽しかったから。というのが一番だった。

本を読んで、その世界に思いをはせて想像するのが好きだった。
シャーロックホームズの本を読んで、
「ワトソン君、君は日々観察をしているかね?例えば、ここのマンションの
階段が何段かと覚えているだろうか?僕は覚えているXX段だ。これは
通常の大人が上るのに要する時間は、X秒で。。」
というくだりをうけて、ひたすら階段を数えて、もしそこで犯罪がおこったら
犯人は、何秒で逃げれるかと計算したり、

秘密の花園を読んでは、どこかに異世界に通じる道があるのではないかと
近くの山の洞窟を探検して回った。

またナスカの地上絵の書き方という本をよんでは、実際に校庭に大きな
スライムの地上絵をかこうとしたりもした。

ここまで書いてくると、ちょっとかわったやつだったかもしれない。
と自分でも思ってくる。

本を読むことのメリット、デメリットはあるとして、やはり自分の中で
もっとも大きな核をしめているのは間違いないと再度おもうことがある。

読書について、今後もつらつらと考えてみたい。