20歳を超えた人間で、「地元愛」という言葉を発するヤツはヤバいやつしかいない。
この事象の根底には
「何もない人間ほど"地元"をアイデンティティにしがち」
という事実がある。
この手の人間は自分自身に誇れるものがないので、
地元愛という薄っぺらい、しかし地元で暮らしている自分には確実にある要素で周囲の同様に中身のない人間となれ合い、安い連帯感を享受しているのである。
これは決して悪いことではなく、誰しもが通る道だと俺は思っている。
大抵の場合中学生から高校生くらいで、ヒップホップにハマったタイミングで"地元愛"は訪れる。
恥ずかしながら、俺にもこの時期はあった。周りより少し遅くて18歳くらい。
問題は、この時期を「抜け出せなかった人達」である。
大地元愛ブームが来たヒップホップヘッズ達も、進学したり就職したり新たなライフステージに進むことで、新たな人生の楽しさを見つける。
そうなると中高生のころの「地元サイコー!」みたいなノリは薄れていって、「地元ってなんか落ち着くよね」くらいになる(狂気的な幻想がなくなるだけであって、地元が嫌いになるわけではない)。
一方で、”地元”というアイデンティティに囚われたままの人間もいる。
この状態に陥る状態は、新たな人間関係や新たな楽しみが生まれず、中高生から変わらない人間関係であることが多い。
誤解しないでいただきたいのが、ずっと地元で暮らしている方や地元に愛着を持っている方を悪く言うつもりは一切ない。
交友関係が広いことを優れているとも思わない。「人脈」という言葉を使う奴はウンコみたいな奴しかいない。
人とのつながりを大切にし、礼を持って長期的関係を築くことは素晴らしいと思う。そのような人物の徳の高さには敬意を表するし、すぐ人を嫌いになる俺には真似できないので一種の憧れすらある。
ただ、いつまでも生まれた地で生活が完結していると成長がないし、それを良いことであるかのように誇ってこられたり、村社会的な謎の排他的仲間意識で外部の人間に攻撃的になったりするのは愚かだねって話。
大体からして、「地元サイコー!」て言ってる人達って基本的に地元から出たことないじゃん。
比較対象もなしに、何が「サイコー!」なんだ?
離れた町で数年暮らしたり、遠いところで戦って帰ってきて
「ああ、色んな町見てきたがやっぱり地元が一番だな」
というのは分かる。凄くよく分かる。
しかし、何故か"地元愛"を声高に語る人間にはこのような人物はいない。
マジで何をもって「サイコー!」なの?旅行した観光地と比べてるの?
井の中に生まれて、井の中しか知らずに井の中から井の中をレペゼンする人たち。
閉じた世界で生きている彼らだが、ある意味で幸せなのかも知れない。
「地元」という狂気の幻想に囚われることで自我を保ち、手の届かないものは「地元」より価値のないものだと認識する。
一種の生存戦略であるとも言える。
そういった人々に辟易して、「地元」の町は好きだが人は嫌いという人が増えていくんだろうな。