おもむろに・・・日記。 -13ページ目

中日。

ついに日本一。

素直にうれしい。

が、完全試合を目前に投手を山井から岩瀬に変えたことで

ちょっとした騒ぎに。なぜ??

でも、人にはそれぞれ意見がある。それは仕方ない。

自分の見解は、この投手交代は「落合監督」「山井」「岩瀬」

の3者の間に信頼関係がないとできないことだと思う。

「指示するもの」「たくす者」「たくされる者」。

この間に相当な信頼関係がないとできることではないと思う。

そして見守る「仲間」がいる。

ペナント中を含め、最後に試合を「たくせる」「岩瀬」という存在がいたから

中日の選手は安心してして試合ができたと思う。

岩瀬に負けが続いたときも落合監督は岩瀬に試合をたくし続けた。

そして岩瀬で負けたの時のコメントで

「岩瀬に試合をたくした」「岩瀬で負けるなら仕方ない」

との趣旨のコメントを発した。

カッコいいと思った。

今日までにそのように信頼関係を築いてきた選手たちなら

今回の交代も納得だろう。

素直に日本一がうれしい。

ほんとよかった。

リアルタイムで見れたらもっとよかった。






でもいいや。

プロレスの没落その2。

今現在プロレスは没落している。

それは「プロレスとは」?

その答えがなくなってしまったからである。

以前プロレスとは「総合格闘技」であり「格闘芸術」であった。

しかし、リアルな総合格闘技に進出してプロレスの権威は失墜した。

ここで言いたいのはプロレスラーが負けたから権威が失墜した訳ではないという事だ。

あくまでも原因はプロレスラーが「闘っていない」からである。

今まで総合に進出したプロレスラーは闘っていない、特に新日本系。

諸事情はあるだろう、しかしせめてリングにあがる以上闘う姿勢を見せてほしかった。

闘わなかった結果、最強神話は崩れ去りプロレスの権威は失墜した。

そして同時にプロレスのリングからは「格闘芸術」が消えていた。

理由は「投げっぱなしジャーマンスープレックス」と「殺人バックドロップ」につきる。

根本的に三銃士、四天王より後のレスラーの技量もあるだろうが、この2つの技の影響は決して小さくないハズだ。

別に技自体を否定している訳ではない。

スタイナーブラザーズが使う投げっぱなしはまさに「投げっぱなし」だった。

しかし今の投げっぱなしは「ブリッジしてホールドが出来ない」結果の「投げっぱなし」である。

この点は解せない。投げっぱなしを選択する事で楽な道を選んでるに過ぎない。

あえてブリッジしないんですよ、投げっぱなしですから・・・という言い訳が聞こえてきそうだ。

これでは芸術もクソも無い。もはや「格闘芸術」ではない。

「殺人バックドロップ」も同様である。

頭から落とせば技の説得力は簡単に増すだろう。

ただし受ける方の危険性が増すだけでやる方は手抜きに過ぎない。

これも芸術性の欠如につながる。

これではプロレスとは?

その答えは見つからない気がする。

昔のプロレスは技がきれいだった気がする。

馳のノーザンライトはまさに芸術だった。

武藤のドラゴンもとてもきれいだった。

ヒロ斉藤のジャーマンも。

三沢のタイガーも。

たしかに格闘芸術と呼べるプロレスはかつてそこにあった。

続く?

プロレスの没落。

久々に何か書こう。

プロレスについて。

自分はプロレスファンである。

今はそれほど見ないが90年代はよく見ていた。

なぜ見なくなってしまったか。

理由は簡単である。

つまらなくなったから。

よく聞かれる言葉だ。

では、なぜそうなったか少し考えてみた。

そもそもプロレスとは何だろうか。

日本語で表記するなら

「総合格闘技」や「格闘芸術」などが当てはまると思う。

新日本は「ストロングスタイル」の名の下にプロレス最強を唱え、

全日本は「シュートを超えたものがプロレス」の下に「格闘芸術」を創作していた。

ただ、90年代後半から新日本がリアルな総合格闘技に足を突っ込み

プロレスの権威を失墜させた。

その時には全日本(ノア含む)の中で「格闘芸術」という名のプロレスが消えていた。

無論、新日本の中にも「格闘芸術」というプロレスは残っていなかった。

つまりプロレスとは?の答えがなくなってしまった訳である。

そりゃ迷走もするだろう。

本当に残念な事である。

ようするに今プロレスを復興させるには「プロレスとは?」

その答えを見つける事だと思う。

ある種その答えを「エンターテイメント」の定めたハッスルが生き残ってるのもそれが要因かもしれない。

長くなりそうなので続きはいずれ書こうと思います。