悩み苦しむということは誰にでもあることで、それをいかに解決するかといえば、千差万別。
私の尊敬する友人は、出会った頃(20歳)から全てを自分の中で決めてしまう人だった。
大概彼女が悩みを私に打ち明ける時には、それはもうすでに彼女の中で解決策を見つけ実行する前か実行後だった。
彼女は誰かが悩み苦しんでいても、自分からは手を差し伸べない。そのことに関して「私は相手が助けてと言えば相談にのる。でも私からはしない。」と言い切った。
不思議だったけど、そんな彼女に憧れた。
その頃の私と言えば、誰かが困っていればそわそわして落ち着かなくて、手を差し伸べずにはいられなかった。
そしてのちにこの部分を利用され、裏切られ、私はとんでもない状況に陥った。
その時を境に、私は逃げることをやめた。自分で乗り越えることを考えた。
慎重に落ち着いて。
きっと単純に物事を捉えれば、もっと私は楽に生きられただろうなとは思う。
複雑に絡まった糸は、解くにも複雑であると捉えていたから。
でも少しだけ変化があった。
今の私に悩みや苦しみはないけれど、心の中に潜んでた澱が時々自分を不安に陥れることがある。
この先も折り合いをつけて付き合っていかなければならない澱。
私はある人に助けを求めてみようかなと、思った。求めた。
そして絡んだ糸をみて、「この下をくぐらせてごらん。」とその人は言ってくれた。
ほぐれはしないけど、その絡んだ糸は大きな塊から少し小さな塊に変化した。
単純なこと。
私はきっとこの先も複雑に考えてしまうんだろう。
でも複雑さは愚かなことじゃない。複雑さの中にあってこそ単純さがKeyになるのだから。
そう思う。
私は友人のようにはなれないから、自分らしいと思って生きてけばいい。
複雑に単純に。