2923年12月、
雪の日に、アマゾンで買った電熱ベストと手袋をし、外の掃除の仕事に行ったら、
朝、グループリーダーから
「あっちがいたい、こっちが痛いというおばさんは他で働いてくれ」と言われ、急な解雇になりました。
その11日前、過労から捻挫をし、ギブスがとれたので、出勤した朝のことでした。
それまでのことは、去年にさかのぼってこれから書きます。
2023年夏
結婚生活40年、夫は長女出産後から、自分が第一でなく娘の世話で寝かせたり、飲ませたり、命を維持するための世話で手が回らず、ストレスからなのか私に暴力を振るうようになり、どんどん激化し、3歳の娘にもおよび、私は棒で殴られ気絶するのを年に3回、脳震盪と頸椎捻挫、骨折など、またお金を十分に渡さず、浪費が激しい、モラハラなどもあり、しかし、その頃は聖書を信じていたた(今も信じてはいますが、解釈が変わりました)離婚はできませんでした。
中学の時にエホバの証人と2年間くらい交流があり、それをひきずって、姦淫以外の離婚はだめと思い、神を喜ばせた区で離婚はしませんでした。しかし年金をもらうようになったら、一人で逃げようとは思っていました。
18年ほど前、家に訪問した牧師夫婦から、家庭聖書勉強で、エホバの組織の度重なるハルマゲドン予言がはずれたことなど、ものみの塔の記事から知り、他にも勉強し目がさめましたが、バプテスマには至らず、11年前福島の3,11の地震のあった年に他の集会を主催する1宣教師からバプテスマを受けました。牧師さんと勉強するまではエホバの証人の呪縛のもとにいました。
その宣教師は召され、もともと身体障碍者で、一人で移動できず、人の集まる所にいくと空気の悪さや、人が動くのをみると目がまわって気絶することなどで、すぐに集会にはいかなくなりました。
もともと、集会は1か月に1度程度、名簿もなく、礼拝の義務もなく、ネットで映像をみてお話を聞くなどで、満足していました。体のこともあり、何かを強制されることはありませんでした。
年金をもらうようになったら逃げようという思いはありましたが、実際問題として家財道具も引っ越しに伴う費用、家のことなどあり、国民年金ではとても生活できないし、私は趣味で仕事でもあるピアノの仕事があり、ピアノを手放したくないので、生活保護を受けるのは嫌だったので、生活保護と同じくらいの金額になるまで、年金を繰り下げしました。
そして、家の費用は20年ほど前に、相次いで他界した両親の遺産700万円を、株式運用し増やしてきたので、それで中古の別荘と修理費用、引っ越し費用、家電家具などを買えたらと考えてはいました。
夫は年をろれば暴力はなくなると期待していましたが、頭が分別がなくなり、相変わらず箒の柄で、しかも外で殴るなどがあり、それだけでなく、認知でもないのに、妄想で「神様が2000万円くれる」などと信じ込み、実際に実印と印鑑証明までつけて外車をカスタマイズしたのを私に内緒で契約したり、同時に本田のハイブリット車も新車で契約し、リフォームも契約し、合計2000万円の契約を内緒でし、夫69才の時、私も巻き込まれ大変な目にあいました。
夫は私のことを「うちでのこづち」と呼び、たたけばお金が出てくるといいました。
それで何とかしてくれと言いましたが、保険を崩せばそれくらいのお金はありましたが、夫の終身保険や家の家財火災保険貯蓄性のもので、崩したくなく、また、もともと貯金は夫が全て使い果たしてきたため、できないと断りました。
いったんは、解約という方向に向いたのですが、夫はあきらめきれずに、ホンダ車だけは無理やりローンで買いました。
しかし、ローンが払えず、数か月で売りに出し、中古車を買いましたが、金遣いの荒い夫はそれでは満足せず、とうとう2000万円の夫名義の保険をとめるのも聞かずに自分で崩し、5年程度で使い果たしてしまいました。企業年金もあるので毎月25万円から多い時期には40万円もらっていた時期もあり、生活費に困るような状態ではありあせんでした、しかし私には生活費を渡してくれず、私は自分でピアノを教える収入で食べたり着たりしていて、光熱費は夫が払いました。退職金もありましたが、すでに夫1人で全て使っています。
私も65才になり、コロナで学校も休校になりピアノの生徒もこなくなり、食べるものが買えず、夫に「悪意の遺棄で離婚します」とい弁護士相談をはじめたら、月に8万円程度もらえるようになりましたが、だんだんと屁理屈をつけて少なくなってきました、そして暴力もやまないので、私も骨折をすると治るのに半年もかかったこともあり、腰でも骨折したら、立てなくなり命が危ないと思い、急遽引っ越しを決意し。2024年1月から家を探し始め、首都圏では高いので、4月に友人家族のいる栃木県に行き、自然が豊かで騒音がないのが気に入り、2回目に行った時に、気に入った中古別荘があったので、即日契約し、7月末にピアノと自転車、身の回りのものをもって、警察の保護をうけ引っ越しました。
動画にもとってあり非公開のユーチューブにあげてありますが、夫は家を買う前から、私が山に引っ越したいといったら許可をしていて、送金も毎月8万円送ると約束していましたので、年金は自分の分は繰り下げをしたまま、夫75才、私69才で引っ越しをしました。
引っ越ししても、何か月も送金はなく、私も親の遺産も家の修理で残りすくなくなり、食べるものにも事欠き、このままで冬を越せずに命がなくなると、年金をもらう手続きをし、婚姻費用の調停を起こし、その前に近くのホテルにパートで調理補助の仕事で面接を受けました。
面接をうけて、1か月くらい何の返事もないので、あきらめていたら、10月半ばから採用の電話があり、週3回、1日4時間から5時間ということで、ほっとしました。
この時期、生きることが大変で、家の中のこと、家電家具調理器具、ゴミ箱に至るまで出費が多く、カーテンレールもない家で、隙間風だらけで、窓を閉めても家の中に風が吹いている始末。食べるものは社会福祉協議会から支援を受け、命を繋ぐことだけせいいっぱい。年金は2024年2月がさいしょの支給日で、収入は皆無でした。
ストーブも1つもなく、ストーブを買ったら灯油代がない。灯油を買ったら食べるものが買えない状態で、夜は11月には家の中は零下4度、外と同じ気温で水道凍結、洗面所に霜がおり、氷がきらきらしていて、指で触ったら水になった時の驚きと言ったらありませんでした。
家の中は毎日零下なので、夜寒すぎて眠れず、どうやったら眠れるか色々対策を試行錯誤していた時期でした。
そんな中、10月からは食事の補助のパートの仕事で、従業員食堂も使え、ガス代灯油代も払えない中、ホテルの温泉も入れるということで命を繋ぐことができました。
誰もそこまで貧しい人は、仕事場でもいなく、本当のことを言っているのに、みんなに信じてもらえませんでした、
うちが寒いということは、他の家も寒いと思っていたので言ったのですが、考えてみれば灯油が使えないほど貧しい家もないし、家の断熱はみな長年の生活でし終わっています。
ばかみたいにしゃべった私が悪かったと今になって思いますが、その時は、命をつなぐことで頭がいっぱいで、断熱の知恵でももらえればとありのままを話してしまっていました。
もともと、私は一人でピアノを教えていたので、多くの人とおしゃべりというのはした経験がなく、よく女性が井戸端会議などをしていましたが、ピアノを弾いていたし、家はいつも暴力だったので、そこに入っておしゃべりに加わることはなかったので女性同士の会話は経験がありませんでした。
また、もともと一人で遊ぶのが好きだった私は学校の時も、女友達と遊ぶことはあまりなく、遊びは外で男のことドッジボールの3回銃殺とか、上の学年の男の子の野球の球拾いとか、そういうのが楽しく、おままごととか女の子と遊ぶのは好きではありませんでした、休みの日は山登り、水泳、スケート、サイクリングと一人でできるスポーツです
自然の中で遊ぶのが大好きでした。
部活も運動部には所属せず、ブラスバンドなどの文化部でした。
ここで、文化や習慣の違い、また都市部では、ピアノの先生として芸術家という認識をされており、普通とは一風変わっていても何ら問題にはならず、先生としては普通だったので目立たなかった個性も、ここでは失敗のもとになります。
言葉も違うし、びっくりするようなことを初日から言われ、また生活レベルの違い、習慣、文化の違いなど、すぐにういてしまいました。
これから少しずつ、書いていきます。
一年間のことで、そんなに長くなるブログではないと思います。