見当たらない「主語」 | 青パパの無限増殖ver.187

見当たらない「主語」

「わからないところある?」
オーナーから頼まれて翻訳をしていると。
「だいたいはわかるけど、人間関係を教えてもらえる?」
ざっと説明を受けると訳文もやっと関係を保てるものに変身する。いくつか「主語」を補足するだけで。ベトナム語を日本語と同様に、その逆も然り。
書き手が主語なのに隠れてるから、書き手が読み手に伝えたいんだろうな、とは察するけれども。そうなるとやはり書き手と読み手の関係に帰着する。
関係に依存して書かれている以上、意味も変質しうる。中立な関係でいかに意味を損なわず翻訳をするか。
そうなると「主語」らしきものに姿を変えて、関係を組み直している自分がいる。もっとも辞書と訳文の照らし直しばかりで、「森を見て木を見ず」に陥ってしまう。自然と訳文が長くなったり。
意訳する裏技を使うよりは丁寧に訳してミスリード(誤読)の余地を無くす。決して国会議員やスポーツ選手のコメントにつく()にならないように。
あれは関係の補足ではなく歪曲に近く。テレビのテロップも似たようなものですね。余計な「主語」がしゃしゃり出て来てしまう。
自分らしい「主語」は謙虚で控え目に振る舞えないようで。
榊原 晃三, 天野 喜孝
巌窟王 少年少女世界名作の森〈15〉