夏の終わり | 青パパの無限増殖ver.187

夏の終わり

連日、サイゴン行きを巡ってMちゃん、旅行代理店と頻繁に連絡を取り合う。FM横浜では「終わらなかった夏休みの宿題の言い訳」についてリスナーの投稿が流れ。夏休み前に、日記・自由研究以外は終わらせてしまう子供だった私は先生にもそこそこ贔屓される優等生を演じていて。ぎりぎりまで引き延ばす悪癖はモラトリアムの大学時代から。
ここしばらく橋本治(くどいようでスイマセン)の「ああでもなくこうでもなく」という「時評らしきもの」を読み、自分がサイゴンにいた間(1997.12-2001.2)に日本で起こった出来事を確認する。
空白を埋めるというより、違った角度からサイゴン時代と対面する。ここ四年間、無意識に避けていた種類の読書。新聞を購読し始めたのはつい最近ですし。橋本治以外も読みますが思考に馴染んだ度合いを重視して、中沢新一、高橋源一郎…
サイゴンに足を踏み入れると、「日本から持ち込んだ宿題」と「サイゴンに置き忘れた宿題」が一遍に雪崩れ込み。「宿題」するにも「予習」が必要だという、夏の終わりに相応しい?教訓が。同時に「復習」もしているようなメビウスの環。
福江 純
アインシュタインの宿題