歴史は人が作ったものなのですよね。
 


栄花物語
(山本周五郎著)
(2024/02/17読了 : 四読目)
 
時は江戸中期。中心に据えられる人物は田沼意次です。
田沼意次といえば、歴代老中の中でも悪評の高い人物。
賂政治、政略結婚で小人から老中まで成り上がり、果ては息子まで年寄り役に据える独占政治。
私の好きな「居眠り磐音」シリーズでもラスボスクラスの悪役になっています。
 
ところが、この栄花物語では全く違う人物像として描かれています。
質素倹約、先見の明があり、新規収入の道を開き、商人から実質的な権益を武家に移そうとする数々の政略を立てる。
善政を敷こうとするが故に政略結婚を進め、自分に万が一の事があっても親族に害が及ばないようにする。
 
しかし、世は田沼憎しの風潮。
そういった渦中にあっても、自分の信念は曲げず最後まで粘り抜く。
 
こういう信念って大事だと思います。
何か新しいことをしようとすると必ず出てくる抵抗勢力。
なぜか人は今の状態に固執して「茹でガエル」になってしまう。
 
実は私が数年前に始めた仕事もそうで、大変な反発に遭いました。
そういう人たちに粘り強く寄り添って説いて行って、今があります。
そういう私をみてくれている外の人がいて、先週、講演に招かれました。
「私もそうです」「共感します」と言う大きな反響であって、「私だけではなかった」と心を強くし、また、今まさに苦労している人たちに少しだけ勇気を与えられたようでした。
 
山本周五郎は「樅木は残った」でも、伊達家お家騒動の奸物、原田甲斐を良い人物として描いています。
本当のところは、当時生きていた人しかわかりませんし、当時の評判も風評であるかもしれません。
私だって、ここまでくる途中には悪者になっていたと思いますし。
 
ただ一つ思うのは、渦中にあっても、平常心で自分の信念を貫くのは重要だということでした。


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