『夏目友人帳』のアニメ第1期を見ての感想です。ちなみに原作漫画は未見。

なかなか長続きしない深夜アニメ界において第5期まで制作されており、しかも妖怪ものということですごく期待して見た次第。




このアニメを見て思ったのが、確かに第5期まで続いているだけあるなぁということ。

13話の内全話において作画・脚本共に一定のクオリティーを維持している。妖怪ものにしては珍しく、戦闘シーンや怪奇的展開はかなり少ないなれど、それでも毎回物語に起伏がある。

すごくストーリーテリングがうまいんですよね。


 ビジュアル面でもかなりセンスが良く、名前を返すときの演出や名取の扱う術は、いわゆる中二病っぽい大仰なものでなくかといって地味すぎない絶妙なバランスだし、妖怪デザインも初見だとギョッとするけどよく見ると可愛くもあるという、古くからある妖怪絵巻のスタイルに近い感じで好印象。


 登場人物も皆個性豊か。

 特に、にゃんこ先生こと斑は本気モードとギャグモードの声のギャップだけでも面白いのにアドリブも入っているということで、声を担当する井上和彦さんの魅力が最大限に発揮されてたと思います。

 夏目については、回想や独白が若干のクドさを感じさせるものの、話の推進力である彼の善意の出所がはっきりするという点では良かったのではないでしょうか。

 ゲストキャラのうちでは、個人的には子狐が気に入りました。自分は男の娘とかケモ耳といった要素に萌える方ではない、というか寧ろ男の娘については存在のありえなさに萎える人なのですが、このキャラの場合はキツネの化けたものという設定もあり、男・女以前の子供もしくは性別に関係なく可愛い小動物という感じだったので気にならなかったです。




 ことほど左様に、かなり出来の良いアニメだと言えます。ただ、巷で言われている"感動"に関しては、私にはあまりピンとこないところでした。いわゆるウェルメードな作りであり、お話の進め方と演出は良いんですが、いざ感動しようと思って事件の元となる妖怪の心情をたどると、発端の部分がぼやかされていたり、設定が曖昧だったりすることが多くて感情移入しづらいのです。


この作品の問題点は第1話の時点で顕著に表れています。

まず、斑と夏目の関係の起こり。この二人の掛け合いには何度となく笑わされましたし、劇中の活躍を追っていれば名コンビと言えるでしょう。しかしそもそもこの二人はどういう関係なのかがよく分からない。

斑が用心棒になることを持ちかけるのは「封印を解いてくれた恩」ということでしたが、すぐに気が変わって力ずくで友人帳を奪おうとします。これを返り討ちにした夏目(どういうパワーバランス?)は改めて妖怪に名前を返したいことを告げ、その 言葉に共感した斑は改めて夏目の用心棒として行動を共にすると約束するのですが、第1話の事件解決の時点で二人の関係は急激に親密になってしまうんですよね。

ここをしっかり締めておかなかったせいで、全体的ににゃんこ先生の行動原理があやふやになってしまっており、呆れたりケンカしたりしつつも用心棒を続ける姿にも常に「なんでそこまで?」という疑念が付いて回り、非常に共感しづらくなっています。


 

また、夏目が最初に名前を返す妖怪であるひしがきについて。

名前を返した時に現れる回想でこの妖怪が「寂しい」と発するシーンでは、私も心を揺さぶられるような気がしました。しかし、この妖怪の回想を聞いてみると、夏目の祖母レイコのいい加減さが妖怪を傷つけていたというどうしょうもない事実が発覚。さらに記憶をたどってみても、ひしがきが元々なぜ寂しがっていたかは不明なので、共感しようがない。

最初の感覚は、おそらくひしがきの声優さんが自分の経験等を加味して発した言葉だったから、重みを持って心に届いたのでしょう。しかし裏を返せば、この言葉の真意は本編からは何も読み取れないのです。

そして、この物語のカギとなる友人帳の、名前を返すという行為の設定もいまいち納得のいく描写・説明が得られません。

1,2,4話を見ると、名前を返すことで凶暴化した妖怪を無力化する効果があるようにとれる描写がありますが、どの回においても夏目が記憶を覗いて勝手に納得するだけなのになぜか妖怪に救いがもたらされたかような演出になっているのが納得いかない。

そもそもかなり序盤から妖怪は普通に平穏に名前を返してもらいに来るようになるし、夏目も流れ作業的に返していくというシーンが多くなり、友人帳自体が形骸化していきます。これでは、ぶっちゃけちゃんと設定考えてなかったのでは…?と懐疑的になってしまいます。



そもそも今作に登場する妖怪についてですが、ドラマ作りを重視して怪奇性を押さえた結果、どうも牙を抜かれた感が否めない。見た目的には余計な美化やディフォルメの少ない"これぞ妖怪"という感じなだけに非常に惜しい。
『妖怪ウォッチ』のような真性の子供向け作品を除いて基本的に怪奇で陰惨な話の多い妖怪ものにおいて、一つくらいはこういう優しい作風のアニメがあっても良いかもしれません。

しかし、本来妖怪というのは人間の理解の及ばない異常なもの、恐ろしいものなのであって、そう簡単に仲良しになんかなれるものではないのです。過去の数々の漫画・アニメで敵として扱われてきたのは、別に不当な差別を受けてのことではなく、人間が恐ろしい容姿と理解不能な他者と相対した時には(少なくとも最初のうちは)争い事になった方が現実的にもストーリー的にも断然自然だからであります。だからそんな妖怪たちと仲良くしようと思えば、敵として登場させる時よりも慎重な扱いが求められるのです。

ところがこの作品では、上は神様から下は昆虫まで、妖怪を見る力があるというだけで最初からわかりあえてしまっています。そしてそれが可能になることを裏付けるような設定はほとんどないため、妖怪本来の異常性が作劇上の都合から取り除かれているという事実だけが不自然に現れてしまっているのです。


もしかしたら、この作品においては登場する霊的存在たちに妖怪という呼称を使わず「神魔」や「ヘナモン」のように、伝統的妖怪や動物霊を統合した作品独自の存在として設定していれば、もっと素直に納得しやすくなったのではないかなとも思います。

日本人なら誰もが知っていて、他の作品でも様々な設定付けがなされている「妖怪」というものの独自解釈に関しては、この作品はあまりにも舌足らずだと言わざるを得ない。